BRIDGE ~世界に広げよう日本の心~

右でも左でもないど真ん中.石井希尚(Marre)のブログ

僕が安保反対デモに反対な訳

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安保法案が可決したなあ・・・
今も国会前で、反対のシュプレヒコールをあげるデモ…
メディアはさかんに、SEALD'sなどを取り上げ、これは多くの一般市民の声だと報道している。
でも、ホント??
僕は、ここでシェアした石平氏の意見に全く同感。
ぜひ彼の寄稿を読んでみてくださいね。
安保法制反対だからと言って、
安倍首相に対して「お前バカか?」とか「人間じゃない」発言。

沖縄辺野古への基地移設反対デモにいたっては「安倍はサタン」だと。
このような低俗で有害なスローガンを、街中にばらまくデモは全く評価もできないし、恥ずかしいことだと思う。
僕は、10代の頃に、明星学園という学校で、デモやハンスト事件をおこした首謀者の一人で、明星学園創立初の、「学校閉鎖」に追いこんだ当事者だ。
誰も学生運動なんてしていなかった時代にやった。
日米安保闘争後、初の学生デモと新聞でもかき立てられた。
学友の退学処分をきっかけに、教育とはなんなんだ!と学校教育の本来のあり方を訴えて、当時の文部省のあり方や、教育システムそのものに、反対したんだ。
で、「生徒の作った生徒の為の生徒の学校」というスローガンをかかげて寺子屋学園」というフリースクールを日本で初めて設立した。

全米フリースクール連合の議長が来日して、座談会をやったりその様子が書籍になったりして、10代の頃から学生運動家的な活動をしてきた経験がある。
僕らの戦いは、一つの学校の中での、進学問題にからむ学校体制との戦いだから規模は小さかったけれども、それは、確かに権力との戦いだったし、日本の教育システムそのものに対する挑戦だった。

僕ら学生たちを支持してくれる「お父さんの会」ができたり、PTAが支援のハンストをやったり、多くの人たちが応援してくれた。
当時のワイドショーに取り上げれたりした。
基本的に権力に対してアンチテーゼで生きてきたし、一般市民である僕たちは、権力の暴走を食い止めるべきだと思っている。

でも、決して戦っていた教職員や体制に対して「バカ」とか「お前は人間じゃない」などという暴言を浴びせるようなまねはしなかった。
それをした瞬間に「デモ」という「抗議運動」の根拠の全てが壊れてしまうからだ。

デモというのは暴力に訴えない非暴力の「主張」と抗議行動であって、もし暴力にうって出るならそれは「テロ」になる。

安保法案に反対だからだろうが、なんだろうが、感情的に激して、議会制民主主義で選挙によって選ばれた首相を、社会経験もない未熟な学生が「バカかお前」となじり、識者が、それをたしなめたり指導したりすることもなく、それどころか一緒になって、「お前は人間じゃない」などと叫ぶなら、もうこの反対運動になんの意味もない。

これは立派な言葉の暴力だし、デモそのものの価値を否定した烏合の衆である。
平和を求める心もなく、ただ不必要に人の心の中に悪意の種をまき散らす害毒にしかなっていない。
平和を求めるための非暴力によるデモなら、徹頭徹尾、その目的と手段が一致していなければいけないと思う。
暴言を吐いて、個人攻撃をするのが戦いの目的ではないはずだ。

だから僕は断固として、学生グループを支持しないし、
このデモを主導している者たちに反対する。

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このような無法を指導できない人たちが、主張する平和には興味がないし、まっぴらごめんだ!
と言いたい。
反対だろうが、賛成だろうが、公の秩序を守り、悪意ではなく、善意によって、破壊のためではなく新しい創造のために、力を尽くす運動にこと価値がある。

安保法制反対の大人たちに踊らされて、公共の場で臆面もなく総理を個人攻撃し、思慮深く考えることもせずただ感情任せに、個人の名誉を傷つけるような暴言をはく者に平和を語る資格はない。

僕は安保闘争以降初のデモ」をやった本人だから言うが、僕がこのデモの指導者だったら、こんな失礼な学生は二度と人前に立たせない。

平和を愛するものは、
まず自分が平和を作り出すものになるべきだ。
不要な亀裂を生じさせる心の先に、平和はない。