BRIDGE ~世界に広げよう日本の心~

右でも左でもないど真ん中.石井希尚(Marre)のブログ

天皇陛下が、ホテルでなくなぜ海上保安庁の巡視船「あきつしま」に??!!

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◼︎ホテルに泊まらないことを希望した天皇皇后両陛下
実はこれはは陛下自身の強い希望だった!!
4月9日、日本から3千キロ離れたミクロネシアペリリュー島で、天皇皇后両陛下が戦没者を慰霊した。
それにしても、今回宿泊場所として、海上保安庁の巡視船「あきつしま」を利用されたことが驚きに値する。
10年前、戦後60年の節目に、天皇皇后両陛下は、戦後初めて戦没者慰霊の旅に出られ、サイパンを訪れた。
その際も、陛下ご自身は、ペリリューを含むミクロネシアまでいくことを強く希望されていたという。
しかし10年前は、パラオでの受け入れ態勢が整わないという理由で、断念せざるをえなかった。
でも、天皇陛下はその後も太平洋諸島で亡くなった方々への思いを抱き続け、この度戦後70年の節目の年にパラオでの戦没者の慰霊について再び強く希望され、それが実現した。
ところが、陛下のパラオ共和国訪問について、実は首相官邸が見直すことを希望したという。
その理由は
パラオの警察官はわずか200人で、警備にあたるのは50人足らず。警備態勢の整ったホテルもないため、訪問はご遠慮いただきたい』
ということらしい。

しかし、それをはねのけたのは天皇陛下ご自身の意向」だったのだ。
パラオ訪問が警備の都合で実現しなかった経緯を残念に思っておられる両陛下が、“宿泊は船内でも構わない”との見解を示されたと聞きます」(ベテラン皇室記者)と報道されている。


◼︎異例事態
そういうわけで、両陛下は「客船ではない」巡視船「あきつしま」に宿泊することになった。
両陛下が国内外への訪問を通じて巡視船に泊まるのは初めて。
異例中の異例ということだ。
巡視船「あきつしま」には、戦没者慰霊碑のあるペリリュー島に渡る際、移動手段となる大型ヘリコプターを2機搭載できるので、ホテルよりも移動の手間がないというスケジュール上の利点があったということが、それにしても、この船は「客船じゃない!」
陛下が宿泊されるためにデザインされていない。
実際に、陛下の宿泊には懸念材料が多かった。
関係者によると、具体的な懸念は、
1)階段が約50度で急勾配だということ。
2)両陛下がともに泊まれるツインの部屋がないこと。
3)部屋が隣接しておらず側近がお世話をしづらいこと。
4)海水の浸入を防ぐため足元に一定の高さのある仕切りが多く、転倒の恐れがあること。

50度の勾配というのは、相当な急勾配だ。
ご高齢の両陛下には上り下りするだけで負担となる。こんなに不便なのに、それでもここに宿泊するのでもいいからパラオに行くことを実行された陛下。
日本人としてただひたすら感謝しかない。
せっかく南国にいくのだから「トロピカル気分でゆっくりしたいなあ」などとは思われなかったということだ。
はじめから、目的がはっきりしていて、体を休めるとか、宿泊場所が快適であることなどの希望を出されなかったといことだ。
頭が下がる・・・。

◼︎海上保安庁もがんばった
もちろん海保や宮内庁などはさまざまな工夫をしたのはいう言うまでもない。
具体的には、
1)両陛下が利用する可能性のあるところにはできるだけスロープや手すりを設置。
2)個室である船長室に大きめのベッドを入れてお二人で泊まれるようにした。
3)宿泊する側近を侍従、女官、医師ら最小限に絞った。 
4)トイレも洗浄便座に変更した。 

3000キロの飛行機の旅のあと晩餐会などをこなして、その後宿泊するのが船。波が高ければ船酔い必死。
手すりをつけても急勾配は変わりないし、基本構造がバリアフリーじゃないし、しかも陛下は病み上がり。
それなのに最小限のスタッフで行かれたとは。

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◼︎ありがたい・・・ひたすらに
いろいろな悪条件を乗り越えてまでペリリューでの慰霊をされたことは、素晴らしいとしか言いようがない。
日本人としてこのような方が陛下であるという事実は誇りである。
今回実現しなかったら、ペリユー島の戦いで死闘を繰り広げ、生き残った数人の元兵士たちは誰もいなくなってしまっていただろう。
みな90歳を超えているから。
そして日本兵だけでなくアメリカ兵の慰霊も忘れなかったことがすばらしい。
日本の平和国家としての立場を天皇陛下であるからこそ世界に発信できる。

それにしても、両陛下ウオッシュレットなんだなあ・・