柳条湖(りょうじょうこ)事件85周年②
さて、前回の続きだ。
今日は何の日か知ってるかい?
今日は「中華人民共和国」建国の日。
そのあたりもふくめた柳条湖(りょうじょうこ)事件をとりまく、当時のアジア情勢を説明するよ。
この事件をきっかけに、「満州国」建国への流れが加速したことは前回説明したね。
この溥儀(ふぎ)だが、彼は満州国建国以前は、「清国」の皇帝だったんだよ。
清国最後の皇帝さ。
なんで最後かっていうとね、彼の時代に清国は滅びちゃったからさ。
彼らは万里の長城を越えて南下。
彼らはいつか独立を勝ち取ってやると憎しみを抱き続けた。
そしてついに独立運動の指導者が現れた。
それが「孫文(そんぶん)」だ。
◼︎回復中華運動
彼は革命運動を指導した。
彼は革命運動を指導した。
中華思想って知ってるかい?
これは「自分たちが宇宙の中心」で、自分たちの文明こそが世界最高だっていう考え方。
つまりは「漢民族こそが世界一だぜ!」っていう思想だ。
「回復中華」っていうのは、
「世界一の漢民族国家を復活させるのだー!」ってことだな。
さてさて、今回のテーマである柳条湖(りょうじょうこ)事件だけど、この事件が起きたのは、孫文の後をついで「蒋介石(しょうかいせき)」という人物が「中華民国」の初代総統だった時代だ。
1931年9月18日、今から85年前のこと。
1931年9月18日、今から85年前のこと。
この事件を、今の中国が日本に侵略された「国辱の日」だと宣伝してるわけだ。
この事件が発端となって、日本と中華民国は戦争へと突入していく
ここから、日本は第二次世界対戦終結までの長い15年戦争へと続いていった。
蒋介石が、それまでの清国の領土をすべて支配したわけじゃない。
およそ300年も続いた清王朝が消滅したことで、国内は内戦状態に突入したからさ。
南京政府や北京政府、あるいは広東政府などが乱立した。
四川省だけでも500回も軍属内戦があったんだから、全国的に悲惨な状態に陥っていた。
それぞれが、「俺様こそが真の支配者だ!」と権力争いを繰り広げ、漢民族同士で殺しあった支離滅裂の時代だ。
そんな混乱の中華民国情勢の中、柳条湖(りょうじょうこ)事件が起こったわけだな。
この事件をきっかけに、日本はすでに圧倒的な存在感を見せていた満州を支配下に置いた。
そして満州は大陸で最も安全な場所となった。
だから、前回言ったように、毎年100万人もの中国人が流入したわけだよ。
冒頭で言ったように、溥儀は満州人であり、清の王族だ。
清というのは、もともと満州で建国されたってことはすでに言ったよね。
満州人は漢族の敵なんだからね。
敵に味方した日本も敵だ。
中華人民共和国じゃない。
これ、絶対覚えておけ!というポイント。
◼︎ところが。。。。
日本は第二次世界対戦に負けてしまった。
そして、満州利権の全てを失ってしまったんだ。
日本は大陸から完全撤退。
すると大陸でのパワーバランスが崩れて、大陸ではとんでもないことが起こった。
蒋介石は劣勢に立たされ「台湾」に逃げていった。
これが今の台湾政府だ。
台湾というのは今も「中華民国」だよ。
大陸に居座った共産党。
これが今の中国だ。
これが複雑な今の「中台関係」というわけだ。
さて、そろそろ今回の結論。
前回も言ったように、もともと万里の長城の外側は、漢民族の敵だったし、そもそも中国じゃない。けれども、それらの地域を侵略して、自国領土とし「少数民族同化政策」を打ち出して、彼らの文化や伝統を破壊しているんだ。
まるで、はじめから存在していなかったかのようにね。
そして今や満州族は、言語も文化も、ほぼ完全に失われて滅亡してしまった。
もうわかるよね。
これは嘘なんだよ。
これは嘘なんだよ。
彼らが満州を実行支配してきた歴史は存在しない。
だから漢民族の彼らが、9月18日を「恥辱の日」と呼び、日本を非難する権利はどこにもないということだ。