読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

BRIDGE ~世界に広げよう日本の心~

右でも左でもないど真ん中.石井希尚(Marre)のブログ

2. 原爆被害者も加害者なの?っていう単純な疑問

11866372_10206917957338235_466690890750991662_n
『安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから』
前回も言ったけど、この碑文は、ん?と
首をかしげる文章になってるよね。
こっちは被害者なのに、なんで謝ってんだ? 過ちは繰り返しませんって。
と、なるのが普通です。
 
言葉って大事でしょ?
奇しくも、今、安倍総理が70年談話を発表するっていうんで、話題になってるよね。
「侵略」とか「お詫び」という言葉が入るかどうかが、焦点だってことになってる。
どの言葉を選んで使うかは、他国からどう解釈されるかわからないから
とーっても気を遣うことなわけだよね、ね、ね・・・

で、そういう視点で広島の原爆死没者記念碑に刻まれている碑文を見直してみると、
どこから、どう読んでも、被害者である日本が、被害者であるにもかかわらず、同じ被害者に向かって謝ってる・・・
としか読めないわけですよ。
だから、そのおかしさを解消するために、
いちいち深読みして、あーだこうだと、解釈しないといけないわけ。

村上春樹氏の発言
その最たるものが、2011年6月9日に、かの有名な村上春樹が、カタルーニャ文学賞の授賞式で行なったスピーチで言ったこと。
彼は、文学賞の授賞式なのに、わざわざ広島のことを持ち出して、
その文言「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」
についてこんなことを言ったんです。

『素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります』

「なんじゃーこれりゃー!」
と、撃たれて殉職したときのジーパン刑事になってしまうのは僕だけですか〜???!
『我々は被害者であると同時に、加害者でもある???』
じょ、じょ、じょ!
じょーだんでしょ??
力の行使を妨げなかったという点においては、我々全てが加害者???
原爆投下という力の行使を妨げなかったことで、我々日本人が加害者???
村上さんが、個人的にどう思おうが自由なんですが、
日本人も、原爆投下の加害者であるっていう考え方には単純に
ん?ん?ん?と思うわけ。
世界で最も有名な日本人の一人で、世界的文学者が、
オフィシャルな授賞式という場で、わざわざこういうことを発言する
のはどうかと・・・。
この碑文の何が問題かっていうと、ようするに、こういう個人的解釈を生み出さざるを得ないような「矛盾」に満ちた言葉であるところなんですよ。
被害者なのに、加害者の立場で読まないといけないというところなんです。
だから、この碑文をめぐって、ずーっと論争があるんだよ。
じゃあ、これって誰が書いたんでしょう?

■この碑がつくられたのは昭和27年8月6日。
日本の敗戦から7年。
日本はずっとアメリカ様に占領されてたわけなんですが、4月月28日、ついにサンフランシスコ講和条約が発効して、日本は独立を回復したんだよね。
で、その直後にこれが、書かれたんです。
当時の広島市『浜井信三氏(はまいしんぞう)』さんが、この碑を発案したんですね。
浜井市長が、こんな発言をしてます。

『この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわ  び、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和  への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる・・・』

この、市長の意志にもとづいて、広島大学雑賀忠義(さいかただよし)教授が・・・
「よーしわしが書いてしんぜよう」
と、すらすらと筆で書いたものなんです。
広島市長は、原爆が使用されたことに関して、
『我々一人一人にも責任があるから、それを認めて犠牲者に詫びるべきだ・・・』と言ったんですね。
その意志をうけて、書かれたのが、この碑文です。
うーん・・
つまり、もともと我々も加害者なのだ、という意味が込められていたということなんですね。
この言葉を書いた雑賀教授は
『原爆投下は広島市民の過ちではないとは世界市民に通じない言葉だ』
と言ってます。
え〜、ほんと??
でもさ、原爆投下は、広島市民の過ちではないよね。
広島の一般市民は、なーんにも悪いことしてないです。
原爆を落とされなければならないような、どんな酷いことをしたの?
って、思うのが普通の感覚じゃないのかなあ・・・
なのに、なんで広島市民までも、加害者に加えないと、世界市民として通じないの?

そんなことないよ。
だって現に、同じ世界市民である、インドのパール判事が、意義を唱えたよね。(前回参照)
どうして教授は、自分たちが悪かったと責任をかぶる姿勢をみせないと世界に通じない!
なんて思ったんだろうね。
教授はさ、戦争が始まったとき、授業中で、ラジオから真珠湾攻撃の一報が流れてきたのをきいて、教室から飛び出して、大喜びして「ばんざーい」って叫んだ人なんだ。
(『これだけは伝えたい武士道のこころ』名越二荒之助/拳骨拓史共著)

だから、教授も『アメリカをやっつけてやれ〜』
と思っていた一人なんだよね。
でも、敗戦後の7年間のGHQによる占領時代が終わって、独立したときには、すっかり考え方が変わってたってわけ。
で、こうも言ってる。

広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである』

なるほど〜、素晴らしい!!
日本は全人類の罪を、過去、現在、未来にわたって、背負って、
代わりに詫びているということだよね。
これほど、素晴らしい考え方はないし、これはまるで、キリストのような崇高さだよね。
このように、大きな全人類的な視点で、罪を背負って犠牲者に詫びる・・
というのは、あまりにも気高いと思うし、これについては、誰も異存はないだろうね。
これそのものは、僕は全くどうかん!!!なんだよ。
これを現実をはるかに超えた「天国の道」に近い!
とさえ思うよね。
でもさ・・・だからと言って、人類への罪を行なった原爆投下が、なぜ、どうして、なされてしまったのかを、正しく認識しないってことは違うと思うし、素晴らしい理想を掲げる引き換えに現実から目をそらしちゃだめだよね。
事実を事実として認識し上で、理想をかかげようぜ!!

■せせこましい立場って??
戦争を繰り返さないっていうのは良いんだよ。
絶対に戦争という過ちを繰り返さないぞ!っていうのはね
でも、こうも言ってるんだ。

『そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」
ん?
せせこましい??
彼が「せせこましい」立場って言ったとき、何を意味してるかっていうと、
『原爆投下は広島市民の過ちではないとは世界市民に通じない言葉だ』
っていうことをについて、言ってるんだ。
連続して語った言葉なわけ。
つまり、そんなせせこましい立場っていうのは「広島市民に責任はない」っていうことを言う立場ってことだよ。
別の言い方をすると、原爆投下の責任は「アメリカにある」っていう立場は
「そんなせせこましい」って切り捨ててるんだね。
そんなことを言うやつは、霊前でものを言う資格はない!
なんて言ってるわけ。
つ・ま・り・
教授は、広島市民を含めて、日本人に、原爆投下の責任がある、という立場を認めないかぎり
霊前で者を言う資格がない!という考えの持ち主になっちゃったってことだ。
あっと驚く変化でしょ、ジーパン刑事!
「なんじゃ、こりゃー!!!」
教授も市長も、自分たちも悪かったんだって認めて、その立場で発言しないと、世界市民として認めてもらえない!って主張してるんだよ。
そうでないかぎり、霊前でものを言う資格がない!とまで言ってるんだ。
じゃあ、僕はダメだああ。
霊前でモノを言えない。
だって「原爆投下の直接的責任は日本にない!」
って思ってるから。
僕は、原爆投下の責任はアメリカにある!って思ってるわけ。
それは次回ね。
でも、そういう人は、広島の原爆記念公演で霊前で、
お悔やみと慰霊をしてはいけない!っていうのが、この言葉の生みの親の考えなのだとしたら、
僕はできないから、やめようってことになっちゃう。
悲しいなあ・・・