BRIDGE ~世界に広げよう日本の心~

右でも左でもないど真ん中.石井希尚(Marre)のブログ

3.憲法解釈七変化の巻

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■戦後日本の歴史的大転換?!
安保法案が可決されたことで、「戦争法案」だと叫ぶ声が溢れていますね。
本当に戦争法案?
そんな疑問を感じてる人もいるでしょう。
「なんだか分かんないけど、弁護士の先生たちや俳優さんたちまで反対って言ってんだから、憲法違反なんだろう」
という空気がありますね。
国家権力を監視して、異を唱えるのは国民の大切な役割ですから、実際に行動を起こしている人々には敬意を表したいと思います。
でも、中身ほんとーに分かってるよね?
ということだけは注意しといた方がいいでしょう。
今回、「集団的自衛権」が容認されたことを受け、メディアや、反対する人々の論調で、際立って目立つのは「憲法9条は集団的自衛権を認めていない!」
というものです。
「個別的自衛権」は認められるが、『集団的自衛権』は憲法違反だ!!という主張ですね。
集団的自衛権を「悪魔」的に毛嫌いする雰囲気がないですか?
「出たな、レギオンめ!(聖書に登場する悪魔集団の名称)」的な…
「集団的自衛権は、日本が攻められてもいないのに、他国の人を殺しにいく法案だからダメだ!」というパニック的な感情論がとっても多いですね。
でも、集団的自衛権ってそんなに「悪」なんでしょうか?

■集団的自衛権って憲法と関係ないよ
内容に行く前に・・。
日本には平和憲法の要である憲法9条があります。
憲法9条で、日本は「武力の行使を永久に放棄」したので、軍隊をもってはいけないし、国の交戦権(戦争する権利)もありません。
でも、この憲法9条が、個別的自衛権は認めている。
だけど、集団的自衛権は認めてない!!
だから、今回の法案は「憲法違反だ!」!!!!という論調が多いわけなのです…
でも、これは、違います!!!
え?違うの・・?
そう違うんです。
憲法は「個別的自衛権」について何も言ってませんし、集団的自衛権についてもなーんにも、まるっきり言ってません。
憲法9条の文言の中に、個別的自衛権も、集団的自衛権もでてきませんよ。
だって、この二つは国際法の概念なんですから。
日本国憲法とは関係ありません。
ここ、間違わないでください。
個別的自衛権も、集団的自衛権も、国連が認めるもので、国連に加盟している世界の国が当然もつべき「権利」なんです。
個別的自衛権というのは、自分の国を守る権利で、集団的自衛権は、他国と一緒にある国を守る権利といったところですね。
詳しくは次回。 

内閣法制局が決めるんです!
で、それを憲法に照らして、OKかどうか、というのは、
②で言った通り「解釈」なんです。
これは認められるよね・・でもこれはダメだよね・・・
と「解釈」してきたというわけです。
これを決めるのは「内閣法制局」という機関です。
これは、政府が国会に法案を提出するときに、憲法と、諸々の法律をてらして精査する機関です。
で、ここで「OK」となるとOKになります。
今回「集団的自衛権」を容認することになったというのは、この内閣法制局が「そう解釈して」OKとなったという意味です。
だからこれは解釈です。
解釈の結果、OKになったのです。
それまでとは、違う「解釈をした」ということです。
憲法の文言は一語一句変わっていません。

安倍総理はレギオン??
さて、いよいよ本題。
今回、安倍政権が「集団的自衛権」を容認したことで、日本中に「悪だ!」「平和破壊だ!」「レギオンだ」と反対の渦がまきおこって、
あ・た・か・も・安倍首相が、戦後70年の歴史の中で、絶対に超えてはならない一線を超えさせてしまった悪の権化!であるかのような反対論が沸騰しています。
でも、この認識も大間違いなんです。
今こそ、事実は事実として認識していくという「クール」な視点が求められています。
クールジャパンでいきましょう。

■じゃあ、歴史の流れを確認しましょう
そもそも、今の憲法は、日本が敗戦した後、アメリカ様から「与えていただいた」憲法です。
しかも日本は占領されていたわけです。
マッカーサー元帥は天皇以上の存在になってちゃいましたから、そんな中で、日本は「自衛権」もなにもあったもんじゃない。
だって「占領下」ですよ。
ここがポイント。
軍は解体され、占領軍が駐屯していたわけです。
軍隊が無い以上、自衛の手段もありません。
槍で戦うわけにもいきませんから。
そんな状態なんで「自衛権」なんていうのは、考える段階になかったわけです。
それが「敗戦国」のスタートです。

■いよ、初登場!!
そんな中、「集団的自衛権」という言葉が国会で初登場するのは、1947年、占領されて2年後です。こんな会話が議事録にのこっています。
12月21日の衆議院外務委員会の記録です。
西村外務省条約局長(現国際法局)という方が、こう発言してます。

『ただ一つ新しい現象といたしましては、国際連合憲章の、今、申し上げました第50条か、
51条かに、国家の単独の固有の自衞権という観念のほかに、集団的の自衞権というものを認めておりまして、そういう文字を使っております・・・この集団的自衞権というものが、国際法上認められるかどうか、ということは、今日、国際法の学者の方々の間に、非常に議論が多い点でございまして、私ども実は、その条文の解釈には、全く自信を持っておりません』
(第7回 国会 衆議院外務委員会議事録第一号)

Wow!!! 重要な歴史の瞬間ですね!
占領下の日本。
国会で「集団的自衛権」が論じられた歴史的瞬間の記録です。
いやあ、しかし発言の中身には、驚きですよね。
「最近さ、国連で、集団的自衛権って言葉が使われてるんだけど、全くわかりませーん!」
というのが、当時の条約局の一番偉い人の発言です。
集団的自衛権?新しいなあ・・・
そんなのあっていいの?
そもそも何それ?
まったくわかんねー。
と言ってるわけです。
これが日本での「集団的自衛権」の歴史のはじまりです。
だから、憲法9条が禁止してるんだ!とまるで、初めから禁止事項であったかのような印象を持ってる方は、その認識を改めましょう。
禁止もなにも、その「概念」そのものが曖昧だったんですから。

■西村局長の理解
ところが、さすが、西村局長。
次の年には、ちょっと理解が深まってるんですね。
同じ委員会で、中曽根康弘議員から質問されるんですが、こう答えてます。
元首相の中曽根さんです。若かりし頃の。

中曽根 
「お聞きいたしたいと思うのでありますが、この集団的自衛権の問題です。それは国家の基本権として、国家が成立するからには当然認められる権利なんですか?」

西村局長 
「もちろんそう考えております」
(第七回国会 衆議院外務委員会議事録第七号)

おおー、なんと!
一年後、1948年の段階で、西村局長は、はっきりと「集団的自衛権は認められる権利」と仰ってますよね。
これは「国際法」ですから、世界の国がもってる「権利」だと。
さすがです。
微妙な問題ですからね.占領下では。
GHQに睨まれて公職追放になる危険だってあったのに堂々と発言されてます。
さらに重要な歴史的事実は、この段階で、憲法9条がどうの、という縛りは一切でてこない
ということです。

■初めての解釈
集団的自衛権は「こういうものだ」と、具体的な解釈が、ようやくでてきたのは、1951年2月です。戦後6年たってからです。
そして、同じ年の7月になって初めて、憲法9条との、関連がでてきます。
西村局長は言います。よーく注意して読んで下さい・・・
『日本は独立国でございますから、集団的自衛権も、個別的自衛権も完全に持つわけでございます。持つております。
ただし、憲法第9条によりまして、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段でありまする軍備は一切持たないということにしております。
又交戦者の立場にも一切立たないということにしております。
ですから、我々はこの憲法を堅持する限りは、御懸念のようなことは断じてやってはいけないし、又他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる次第でございます』
第十二回国会 参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録十二号

さあ、これが憲法9条との関連性での「解釈」の始まりです。
国際的に「自衛権」というのはあるよな。
でも、あ、そうだ。うちには9条があった。
だから、自衛権は持ってるけど「使えません」と言う『解釈』にしよう・・・となったわけです。
重要なのは、個別的自衛権も、集団的自衛権も「両方使えません」という解釈だったということです。
いやはや、
これは、実はアメリカ様との微妙な駆け引きの歴史です。
ちょうどこの頃、朝鮮戦争が勃発して、日本にいた米軍はごっそり朝鮮半島にいってしまったんですね。
すると、日本がまる裸。
まずい、ソ連にとられちゃうぞ!
そこで、マッカーサー殿は、当時の首相「吉田茂」にいいました。
「あのさあ、吉田君、7万人のアメリカ兵がいなくなるから、7万人分の軍隊を組織してくれない?そうじゃないと、日本がとられちゃうよ」

■あっと驚く手のひら返し
吉田茂はじめ、閣僚たちはさぞびっくりしたでしょうね。
なにそれ?
アメリカ様が軍を解体させたんじゃありませんか?
それを今になって、再軍備せよ!ですか???
「そうだよ。吉田くん、事情が変わったんだよ。わっかる〜?」
そうやってできあがったのが「警察予備隊」。
これが自衛隊です。
で吉田君は、初めはアメリカ様に反発して「いや、日本はアメリカ様に守っていただくことを、国民は願っております!」
なんて言うんですね。
でもアメリカ様のご意向は絶対ですからね。
そういう流れの中で、日本も再軍備の道へと進みます。
そんな激動の中での発言ですね。
「日本は自衛権はある。でも9条があるから、その自衛権は行使できません!」
アメリカへのあてつけにも聞こえてきます。
もしかすると、勝手な都合で再軍備を要求してきたアメリカ様への密かなる抵抗かもしれません。
天国にいったら吉田茂に聞いてみたいですね。
アメリカにとって憲法9条は大失敗の政策になってしまいました。
マッカーサーのとっては頭痛の種。
ニクソン大統領なんて、1953年11月19日に「あれは誤りだ」とまで言ってます。
アメリカは、とにかく憲法9条を即刻変えてほしかったんです。
そういうシロモノです。
憲法9条を考えだしたのはマッカーサーです。
日本人ではありません。
これは、史実です。
でも、事情が変わって、この9条がアメリカ様にとっては、『そんなの変えちゃえよ』という
おじゃま虫になってしまったのです。
しかし結果的に、日本は個別も集団も含め、「自衛権」を行使できない!という解釈をして、
これがその後の、日本政府の立場になります。
で、②で言いましたが、自衛隊は今も「軍隊」ではありません。

■日本の事情も変わってきた
ところがですね。
日本がいよいよ独立して、主権が回復してから後、日本の国際社会での立場も変化してきたし、日本人の意識も変わっていきました。
で、1960年になると、林修三法制局(現・内閣法制局)長官はこう言うんです。大事ですから、よーく注意して読んでね。

『米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して、あるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを、私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません』
出典:林修三法制局長官(第三十四回国会 参院予算委員会会議録第二十三号

なんとです。
集団的自衛権は「認められる」と言ってるわけなんです。
内閣法制局の局長です。そういう解釈になったんですね。
戦後15年経ったこの時代には。
だから、あたかも、安倍政権が、戦後の歴代内閣がずっと積み上げて来たものを壊した張本人だ!的な批判は、ウソ!!
間違ってるんです!!
憲法9条に関する解釈は、少なくとも7回は変わってきています。
すごいです。解釈7変化!!!

■個別的自衛権と、自衛隊を認めたときの大噴火!!!
しっかり歴史を理解しておかないといけないことは、1950年、自衛隊の存在を認めて、同時に、個別的自衛権を認めるという、ウルトラCの忍者解釈を打ち出したとき、野党や憲法学者などが、それりゃもう、「このやろー!死ね」ぐらいの勢いで、与党を大罵倒して、当時の政権を批判しました。
それなのに今は、自衛隊はよくて、個別的自衛権もいい。
だけど「集団的自衛権憲法違反だ!
ですと…?
当時、罵倒されながらも、それがアメリカ様の意向であったとしても自衛隊をつくり、再軍備し、忍者解釈で、軍隊を作ってしまった
当時の日本政府に、僕は、本当に感謝してます。
自衛隊があってよかったな〜〜〜
と思ってるんです。
彼らは災害救助のための訓練ではなく、国を守るための軍事訓練を積んでいるので、結果的に、災害時に、ものすごく大きな力になってくれてます。
嫌われたっていい。
日本の将来のことを考えたら、今やるっきゃない!
当時、政権を担っていたリーダーたちは、そう思ったわけですよね。
アメリカとのせめぎ合いの中で。
今の、政権もそういうことをやってるのかもよ?
という落ち着いた味方もあるかもな、と
一考してみるというのはいかがでしょう?