BRIDGE ~世界に広げよう日本の心~

右でも左でもないど真ん中.石井希尚(Marre)のブログ

2. 原爆被害者も加害者なの?っていう単純な疑問

11866372_10206917957338235_466690890750991662_n
『安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから』
前回も言ったけど、この碑文は、ん?と
首をかしげる文章になってるよね。
こっちは被害者なのに、なんで謝ってんだ? 過ちは繰り返しませんって。
と、なるのが普通です。
 
言葉って大事でしょ?
奇しくも、今、安倍総理が70年談話を発表するっていうんで、話題になってるよね。
「侵略」とか「お詫び」という言葉が入るかどうかが、焦点だってことになってる。
どの言葉を選んで使うかは、他国からどう解釈されるかわからないから
とーっても気を遣うことなわけだよね、ね、ね・・・

で、そういう視点で広島の原爆死没者記念碑に刻まれている碑文を見直してみると、
どこから、どう読んでも、被害者である日本が、被害者であるにもかかわらず、同じ被害者に向かって謝ってる・・・
としか読めないわけですよ。
だから、そのおかしさを解消するために、
いちいち深読みして、あーだこうだと、解釈しないといけないわけ。

村上春樹氏の発言
その最たるものが、2011年6月9日に、かの有名な村上春樹が、カタルーニャ文学賞の授賞式で行なったスピーチで言ったこと。
彼は、文学賞の授賞式なのに、わざわざ広島のことを持ち出して、
その文言「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」
についてこんなことを言ったんです。

『素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります』

「なんじゃーこれりゃー!」
と、撃たれて殉職したときのジーパン刑事になってしまうのは僕だけですか〜???!
『我々は被害者であると同時に、加害者でもある???』
じょ、じょ、じょ!
じょーだんでしょ??
力の行使を妨げなかったという点においては、我々全てが加害者???
原爆投下という力の行使を妨げなかったことで、我々日本人が加害者???
村上さんが、個人的にどう思おうが自由なんですが、
日本人も、原爆投下の加害者であるっていう考え方には単純に
ん?ん?ん?と思うわけ。
世界で最も有名な日本人の一人で、世界的文学者が、
オフィシャルな授賞式という場で、わざわざこういうことを発言する
のはどうかと・・・。
この碑文の何が問題かっていうと、ようするに、こういう個人的解釈を生み出さざるを得ないような「矛盾」に満ちた言葉であるところなんですよ。
被害者なのに、加害者の立場で読まないといけないというところなんです。
だから、この碑文をめぐって、ずーっと論争があるんだよ。
じゃあ、これって誰が書いたんでしょう?

■この碑がつくられたのは昭和27年8月6日。
日本の敗戦から7年。
日本はずっとアメリカ様に占領されてたわけなんですが、4月月28日、ついにサンフランシスコ講和条約が発効して、日本は独立を回復したんだよね。
で、その直後にこれが、書かれたんです。
当時の広島市『浜井信三氏(はまいしんぞう)』さんが、この碑を発案したんですね。
浜井市長が、こんな発言をしてます。

『この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわ  び、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和  への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる・・・』

この、市長の意志にもとづいて、広島大学雑賀忠義(さいかただよし)教授が・・・
「よーしわしが書いてしんぜよう」
と、すらすらと筆で書いたものなんです。
広島市長は、原爆が使用されたことに関して、
『我々一人一人にも責任があるから、それを認めて犠牲者に詫びるべきだ・・・』と言ったんですね。
その意志をうけて、書かれたのが、この碑文です。
うーん・・
つまり、もともと我々も加害者なのだ、という意味が込められていたということなんですね。
この言葉を書いた雑賀教授は
『原爆投下は広島市民の過ちではないとは世界市民に通じない言葉だ』
と言ってます。
え〜、ほんと??
でもさ、原爆投下は、広島市民の過ちではないよね。
広島の一般市民は、なーんにも悪いことしてないです。
原爆を落とされなければならないような、どんな酷いことをしたの?
って、思うのが普通の感覚じゃないのかなあ・・・
なのに、なんで広島市民までも、加害者に加えないと、世界市民として通じないの?

そんなことないよ。
だって現に、同じ世界市民である、インドのパール判事が、意義を唱えたよね。(前回参照)
どうして教授は、自分たちが悪かったと責任をかぶる姿勢をみせないと世界に通じない!
なんて思ったんだろうね。
教授はさ、戦争が始まったとき、授業中で、ラジオから真珠湾攻撃の一報が流れてきたのをきいて、教室から飛び出して、大喜びして「ばんざーい」って叫んだ人なんだ。
(『これだけは伝えたい武士道のこころ』名越二荒之助/拳骨拓史共著)

だから、教授も『アメリカをやっつけてやれ〜』
と思っていた一人なんだよね。
でも、敗戦後の7年間のGHQによる占領時代が終わって、独立したときには、すっかり考え方が変わってたってわけ。
で、こうも言ってる。

広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである』

なるほど〜、素晴らしい!!
日本は全人類の罪を、過去、現在、未来にわたって、背負って、
代わりに詫びているということだよね。
これほど、素晴らしい考え方はないし、これはまるで、キリストのような崇高さだよね。
このように、大きな全人類的な視点で、罪を背負って犠牲者に詫びる・・
というのは、あまりにも気高いと思うし、これについては、誰も異存はないだろうね。
これそのものは、僕は全くどうかん!!!なんだよ。
これを現実をはるかに超えた「天国の道」に近い!
とさえ思うよね。
でもさ・・・だからと言って、人類への罪を行なった原爆投下が、なぜ、どうして、なされてしまったのかを、正しく認識しないってことは違うと思うし、素晴らしい理想を掲げる引き換えに現実から目をそらしちゃだめだよね。
事実を事実として認識し上で、理想をかかげようぜ!!

■せせこましい立場って??
戦争を繰り返さないっていうのは良いんだよ。
絶対に戦争という過ちを繰り返さないぞ!っていうのはね
でも、こうも言ってるんだ。

『そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」
ん?
せせこましい??
彼が「せせこましい」立場って言ったとき、何を意味してるかっていうと、
『原爆投下は広島市民の過ちではないとは世界市民に通じない言葉だ』
っていうことをについて、言ってるんだ。
連続して語った言葉なわけ。
つまり、そんなせせこましい立場っていうのは「広島市民に責任はない」っていうことを言う立場ってことだよ。
別の言い方をすると、原爆投下の責任は「アメリカにある」っていう立場は
「そんなせせこましい」って切り捨ててるんだね。
そんなことを言うやつは、霊前でものを言う資格はない!
なんて言ってるわけ。
つ・ま・り・
教授は、広島市民を含めて、日本人に、原爆投下の責任がある、という立場を認めないかぎり
霊前で者を言う資格がない!という考えの持ち主になっちゃったってことだ。
あっと驚く変化でしょ、ジーパン刑事!
「なんじゃ、こりゃー!!!」
教授も市長も、自分たちも悪かったんだって認めて、その立場で発言しないと、世界市民として認めてもらえない!って主張してるんだよ。
そうでないかぎり、霊前でものを言う資格がない!とまで言ってるんだ。
じゃあ、僕はダメだああ。
霊前でモノを言えない。
だって「原爆投下の直接的責任は日本にない!」
って思ってるから。
僕は、原爆投下の責任はアメリカにある!って思ってるわけ。
それは次回ね。
でも、そういう人は、広島の原爆記念公演で霊前で、
お悔やみと慰霊をしてはいけない!っていうのが、この言葉の生みの親の考えなのだとしたら、
僕はできないから、やめようってことになっちゃう。
悲しいなあ・・・

1. 70回目の原爆の日

11850431_10206890352328127_3197316470251654956_o
今年もやってきたね。
8月6日、そして9日、原爆の日
日本は、唯一の被爆国として、世界に「核廃絶」を訴える国なのだ〜。
これを、日本がやらずして、誰がやる!!

だ・け・ど・・・
アメリカでは、いまでも約50%の人が原爆のおかげで戦争が終わったんだ!
だから、原爆投下は正しかった!って信じてるんですよ・・・。

しかも、善良な一般人。
キリスト教徒のみなさま・・・

学校でそう習うからね。アメリカの歴史教科書では。

2011年、
初めてHEAVENESE(ヘヴニーズ)でアメリカツアーに行ったとき、大きなチャーチでのコンサートがありました。
2500人のオーディエンスを前にして言ったんです。

「アメリカは『神よアメリカを祝福したまえ』と議会でうたって
 日本に原爆を落とした!
 日本で犠牲になった人々は、神がアメリカを祝福した結果なのか?
 そんな神ならいらない!と日本人は思っている!」

ってステージからメッセージしたんですよ。
曲の合間にね・・・。
別に非難したんじゃなくて、そういう歴史があるから、皆さんの神は、なかなか、伝わらないんだよなああ・・・っていうことを言ったわけ。

氷のように静まりかえっちゃった、あの瞬間を今でもよく覚えてるよ。
あー怖かった。

でも、あなたの勇気を讃える!アメリカ人は聞く必要があった!!

って言ってくれた人もいたよ・・・

それはそれとして、

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

これこれ、世界への被爆国のメッセージ。
広島の原爆記念公園にある「原爆死没者慰霊碑」に刻まれたことばです。
360px-Cenotaph_Hiroshima

これは、原爆で犠牲になった方々を慰霊するための「碑」ですよ。
亡くなった方にむかって、語りかけてるわけなんです「安らかに眠って下さい」と。

そこまではいいんですが、次ですよ。
「過ちはくりかえしませぬから」って。

ん???
なにこれ??

くりかえしませぬ・・・???
主語は誰じゃ??
と思いますよね。

英語にもなってます。

"Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil."

英語っていうのは、日本語と違って、you とか、we とか、I とか、『誰が』『誰に』
向かって話してるのかっていうのがはっきりしないと意味が通じない言葉なんですね。

だからはっきり書いてあります。
これはオフィシャルな訳だから、全世界に向けて、発信されてるものです。

We(私たち) shall not repeat the evil
中学生の英語が分かる人ならわかりますよね。
これ、わからないと、まずい。

読んで字のごとく、WE だから『私たち』ですよ。
主語が「私たち」です。

なんで、私たちなんだよ〜。
私たちって、誰のことだよ〜!
と思うのが普通です。

原爆を落としたのは、「私たち」日本人じゃないぞ!!
って単純に思うわけですよ。

で、私たちがなんだって?
と続きに目をやれば、

shall not repeat (くりかえさない)

そう。繰り返さないと書いてある。
日本語原文の直訳です。そのとおりに訳せています。
正しい訳です。

「くりかえしませぬから」

ん?
日本ごは主語がはっきりしないけれども、述語ははっきりしてますね。

「くりかえさない!」って言ってます。

だから・・誰が??

繰り返さないって言うか、やってないことを繰り返せないよね。
だって、原爆は日本が落としたんじゃないんだから。
やってないことは、繰り返せない。

日本語の原文も、

そもそも意味が通じないわけですね。
これは。

でも、じっとこらえて先を読もう・・
よし、何を繰り返さないんだっけ?

過ち・・・これが英語だと、
the evil
THE EVIL

カタカタに無理にすれば「イーヴォー」

おお〜〜。
と思います。
恥ずかしながら、英語を話す身なんですが、この単語 evilは、過ちじゃなくて、ほとんど「悪魔」という意味で使われる言葉です。

2001年のNY同時多発テロの後、ジョージ・W. ブッシュ元大統領が、演説の中で、北朝鮮や、イランを名指しで非難したんですが、「テロ支援国家だ!」って。
その時に彼が使った単語が「悪の枢軸!」なんですね。
お前たちは、「悪の枢軸だ!」ってね。

で、そのときにも使われた言葉ですよevilってのは、axis of evil (悪の枢軸)!!
だからね、evilっていうのは、悪なんです。
過ちなんていう優しいもんじゃない。
極悪ですよ。
そういう言葉。

悪魔のことも、 Evil one  って表現しますからね。
悪の帝国とかね、とにかく「悪」というときに使うんです。

原爆なんて、ほんとーに悪でしょ。
悪魔的所行だ!!!

そうなんです。
そもそも、この破壊力が悪魔的。
それに、非軍人である民間人を、殺すっていうのは、「戦時国際法違反」なんですから。

そういう悪魔的なことを、私たちは繰り返しません。
だから安らかにお眠りください!って
言ってるわけですよ。

でも、これは穏やかな話ではありません。
なんで、被害者である日本人が、亡くなった日本人に謝らなければならないのかっていう
単純な疑問が湧いてきますよね。

まるで、日本が、
この悪魔的な兵器を使用したみたいじゃないですか。
同胞である日本人を殺戮するために。

俺たちが落としたんじゃないだろ〜!!
アメリカ様だろ。落としたのは。
と言いたいキモチが、むくむく湧いてきますね。

アメリカ様が、「私たちは二度と悪魔的な所行を繰り返しません」って反省してるんなら意味が通じます。
でも、なんで、原爆を落とされて、悪魔の餌食になった日本が、悪魔に代わって謝るんです???
あやましはくりかえしませぬ


実は、戦争が終わって7年目の1952年に、インドのパール判事という方が来日したとき、これが大問題となりました。

彼は戦後、日本の「戦犯」と呼ばれた方々を裁くための「東京裁判」でも、連合国側の判事として裁判に加わっていた方です。

11月5日、彼は広島を訪れたんですね。
で、これを見たわけです。
彼は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げてくれました。ありがたいなあ。

で、この碑に刻まれた文字に目をとめて、同行していた通訳の「ナイル」君にきいたんです。
「ここに、何が書かれてるのかね」ってね。
まだ英訳がなかったんだ。

ナイルくんは、これを直訳しました。
すると、パール博士は、「え?ホントかね?」と何度も確認して、険しい表情になったそうですよ。そして こう言ったんです。

この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。
もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明
瞭である。
落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。

この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した
上、ハルノートを突きつけてきた。
アメリカこそ開戦の責任者である!

全くだ!
パール博士!!!
しかり、アーメン、弥栄!!

これで大論争が起こって、広島市は後々、この碑文を書き換えるのではなくて
「これは全人類を代弁している」っていう理由を後からくっつけてそれが今に至っているんだよね。

なーんかおかしくない?
不条理が渦巻く現実。
それが世界だよね・・・。

7. 集団的自衛権行使のデメリットってなあに?!

11822683_10206815445455502_2459287673935259245_n

さて、いよいよ今回はデメリットです。
集団的自衛権行使が容認されることによって、どんなデメリットがあるのでしょうね。
デメリットは、すでに多くの人が声をあげているとおりのことです。
日本が直接攻撃されていないのに、第三国に対して武力行使をする可能性がある!
ということ。
つ・ま・り・
同盟国が、どこかの国から武力攻撃を受けた場合、日本が支援の要請を受けたら、自衛隊を派遣して、その国の戦闘行為に加わる可能性が出て来る!
ということです。
じゃあ、現状、日本の同盟国ってどこかと言えば、言うまでもなく、わかりきったことですが・・「アメリカ様〜!!」
はい、そうです。
ということは、最も現実的な可能性として、アメリカが、武力攻撃をうけた際に、自衛隊を派遣する場合が『ある』ということですよ。
つまり、その場合は、自衛隊もアメリカ様と一緒に戦うことになる、と…。
え!!!そんなことしたら、ダメだよ〜
日本が直接攻撃されてないじゃないか!
攻撃もされてないのに、相手を攻撃するのか!
そんなことして、自衛隊員死んじゃうかもしれないじゃないっ!!
日本は戦争する国になるのか!
平和国家じゃなくなってしまうじゃないか〜〜〜!!!
そんなのだめだー!
っていうのが多くの人々の声ですね。
この「不安」はよーく分かります。
気持ちは一緒です。
きっとみんな。
っていうか、そうであってほしいっ!!
戦争しよーぜ!っていうのは「クレイジー」でしょ・・
でも、そこをぐっと抑えて、客観的に世界を見ると、
そもそも『同盟』っていうのは、
「こいつに手を出すってことは、俺に手を出すってことだぞ。わかってんだろーな!」
っていう関係になるってことです。
そうでないと、同盟の意味がないわけ。
相手にしてみたら
「あいつがついてるから、喧嘩すんのやめとこーぜ!」
となって初めて「抑止力」となるわけです。⑥参照
そうじゃなければ、同盟っていうのは全く意味がありませんから。
だから、同盟国が攻撃されたら、自分が攻撃されたのと同じような重要な意味をもつっていう「関係性」が基本です。

■アメリカの戦争にまきこまれる?
だけど、勘違いしちゃいけないことがあります。
よく「アメリカの戦争に巻き込まれる!」という反対意見を耳にするんですが、でも、アメリカが、どこかの国と始めた戦争に、日本が巻き込まれるということは、ありません。
ここがポイント!
ないの?
そう、ないです。
今回の法案が通っても、それは、で・き・ま・せん!!!
アメリカが始めた戦争で、アメリカがやられても、日本は「ああああ〜〜〜アメリカ様があぶない!」と見てるだけです。
え?そうなの??
実はそうなんです。
今回の法案には、今までどおり、とーってもハードルの高い「しばり」があって、日本が、アメリカ様を助けられるには、条件があるんですよ。
その条件をクリアしないといけません。
それは・・・
アメリカが、日本の安全にかかわる重要な活動をしていて、そこが攻撃されることで日本の安全が「脅かされる」ような事態が発生し た!!!
というときです。
これが、今回の法案で政府が出してきた「存立危機事態」っていう状態です。
この、「存立危機事態」にならないと、集団的自衛権を行使できません。
アメリカが、日本の安全と無関係に、アメリカの国益や権益のためにしかけた戦争では、法案は適応されません。
じゃあ、具体的にはどんな場合に、自衛隊が出る可能性があるんだよ?
ってことですが。
たとえば、よく例に出されるのは、日本の近くで、日本を守る役割を担っているアメリカの船が、どこかの国から武力攻撃をうけた、という場合ですね。
そういうことが、今すぐにおこるかどうかは別として、例として常に出てきます。
そのような場合は、日本の船が直接的に攻撃をうけてないけれども、日本は助けに行くことができます。
でも攻撃をうけただけじゃだめです。
アメリカ様から「頼む来てくれ」と要請されないといけません。
つまり、アメリカが
①日本の防衛にかかわる大事なことをしているのに
②攻撃を受けて、
③アメリカが「助けにきてくれ!と頼んできたら、
そのとき初めて日本は、集団的自衛権を行使するかどうかを
「選ばなければならない」
という事態に直面する、ということです。
 
■ 自分で決める!!!
もちろんこれは強制ではありません。
だから集団的自衛権を行使しなければならない、ということじゃない。
いちいち、全部のアクションで「国会承認」がないといけないんです。
ただ、緊急事態のときは、国会承認は「事後」にすることができます。
とりあえず、急がないといけないから自衛隊派遣して、その後に、承認してもらうってことです。
えー、じゃあ、国会承認が必要だって言ったって、ないよーなもんじゃないか〜!
とも言えますが、あとから国会が「承認しない」って言ったら、派遣した自衛隊は、撤退しないといけなくなるでしょうね。
もし、アメリカの行為を「ついてけねえ、無謀だ」と判断したら、集団的自衛権は「行使しない!」と決めてもいいんです。
実際、アメリカ様の同盟国で、大の仲良しイギリスが、紛争しているとき、アメリカ様は、助けなかったことだってあるんです。
だから、仲間だけど、そのときの事情で決めるってことです。
これが、できるのは、大人だな〜

■いけ、議会制民主主義!!!
たとえば、国民の大多数が「今回はいくら頼まれてもダメだ」と判断しているとしたら、それを無視して、強引にやってしまうと、なんてったって「軍事行動」ですから、今どころの反対じゃすまされませんよね。
逆風は暴風になって、内閣の支持率は、奈落の底に落ちることになるでしょうね。
すると、与党の座から転落ということにもなりますよ。
緊急事態だ!っていって、どう考えても無謀なことを「事後承認」で、「たのむわ!あとでOKして」なんて、自衛隊の派遣をきめちゃったときも同じでしょう。
だ・か・ら・
アメリカの要請で、日本が軍事行動に参加する可能性は否定できないけれども、国民が意志を示すことで、それを阻止することもできるってわけです。
これこそ議会制民主主義だぜ!!イエーイ!!!
ほんとーは、こういう自立した、大人の国じゃないといけませんよ。
一応言っておきますと、国連に加盟国している国は、どこの国も集団的自衛権を「行使できる」という立場で、これがワールドスタンダード
つまり標準です。
行使できないという立場は日本だけなんです。
つまり、どこの国も、一様に同じリスクを負っているということですよ。
みーんな同じなんです。
それをデメリットと考えるかは、その人によります。
 
■こっちがほんとーのデメリット
僕個人が考えるデメリットがありまして・・・。
それは、日本が、軍事的にアメリカ様との協調路線をとりすぎると、イスラム諸国を敵に回す可能性があるぞ!
ということです。
イスラムの国々にとって、日本は名士なんです。
いや、ヒーローですよ。
今まで一度もイスラムの国と戦争してないからです。
さらに、彼らから見ると、
日本はアメリカ様に原爆でめちゃくちゃにされたのに、不死鳥のように甦った!という奇跡の国なんですよ。
でも、アメリカはイスラムの絶対的な敵なんです。
で、彼らは言うわけ。
「日本はさ、なんであんな酷いことをしたアメリカにくっついてんだ?!
僕は、牧師っていう立場があって、恥ずかしながら、聖書とか中東方面、専門なんです、はい(汗)・・・。  
去年、僕が主催してるHEAVENESE(ヘヴニーズ)で、エルサレムに演奏に行きました。
エルサレム市から招待していただいたんです。
嬉しかったなあ・・
ガザとの停戦直後に。外務省にも後援していただいて、『民間音楽外交使節団』を自負していってきたんです。
大反響でした。
イスラエル人、パレスチナ人両方から、熱狂的に迎えていただきました。
そこで感じたのは「ジャパンブランド」のすごさです。
日本人は、パレスチナ人、イスラエル人の双方から「good people」と言われるんですよ。
僕たちを見ると、決まって人々は「oh you are good people!!」
お互いに殺し合っている、二つの民族がですよ。
日本人だとわかると、嬉しそうに、「good people」と言うんですね。
憎しみあってる二つの民族の両方の間に立てるんです。
日本は。これってすごいですよね。
ジャパンブランドっていうのは、ほんとーに、すごいんですよ。
これは、平和国家だからなんです。
この70年間、戦争してないからです。
でも、アメリカ様と仲が良すぎると、パレスチナ人を含むアラブ諸国の多くは、がっかりします。
でもって、警戒されちゃいます。
おまけに、イスラム過激派テロリストが、このやろー!って日本人を標的にするリスクは高くなりますね。
今は、日本はヒーローです。
この関係が保たれることが、とーにもかーくにも大事。
だから、難しいぞ。
アメリカ様との付き合い方は・・・。

6. 集団的自衛権行使容認メリットはどこに・・・?

11168518_10206775596619306_3925563216384201063_n

■期待される効果
さて、今度こそいよいよ集団的自衛権を行使できるメリット。
メリットは、日本の外交的選択肢が広がることで、世界の中での日本の立場が『あがる』ことが期待される、ということです。
今まで日本は、世界のどことも違っていました。
今までは、どこかの国が、第三国から武力攻撃をうけた場合、日本は、いくら頼まれても、「絶対に」駆けつけることも、助けることもできませんでした。
日本は、平ったく言えば、
「どの国も助けないよ」と公言してきた国です。
つ・ま・り・日本というのは、
どこかの国が攻撃をうけたとき、その国にとっては
『絶対に頼りにならない国』だったわけです。
でも、これだと外交面では発言力が弱いし、存在感もないということになります。
実際、日本は外交の舞台ではさんざんでした。
日本が、外交の舞台で、できることと言えば、実のところ、「お金を出すこと」くらいだったんですね。
でも、お金を出すだけでは、世界からは評価してもらえなかったんです。
たとえばこういうことがありました。
 
湾岸戦争での敗北の記憶
1991年、今は亡きサダム・フセイン率いるイラクがクエートに侵攻したことで、「湾岸戦争」が起ったときのことです。
アメリカを中心とする世界は、イラクに対して
「おめー、何やってんだ、クエートを解放しやがれ!」
と怒って、軍事行動に出たのです。
これは、第二次世界大戦以後初の、多くの国が国際的に連携した軍事行動だったんですよ。
中東の国も、ヨーロッパも南米もアジアの国も、38カ国が「一致」して「多国籍軍」を組織して、イラクをクエートから追い出す作戦を展開したんですからすごいです。
この時、世界の目は日本にも向けられたのは当然ですね。
世界の「大国」の一つですから。
日本も協力してくれるよね?って。
で日本は、
「あったりめえだろ!俺たちは日本だぜ!金だけだす!」
と言ったんです。
「気持ちは一緒だよー。でも人っ子一人出せません。決まりだもん!」
しかも、アメリカ様に
「お前な、そんな少ない額で世界が納得すると思ってんのか!」
なんて怒られちゃって、結果的に、最初の提案よりも大幅にアップした額をだしたんですね。
その額、およそ、1兆6千億円!!!!
当時の額でです。今の額じゃない。
とんでもない巨額です。新国立競技場どころじゃねえぞ〜!!!
世界がこれだけ一致した行動をしたので、イラクも「すみませんでした」となって、無事にクエートは開放されました。
すると、戦後、クエートが世界にむけて「感謝」を表明したんですね。
感謝広告なるものが、アメリカの新聞にでかーく掲載されたんです。
ところが、その「感謝国リスト」の中に、なんと「Japan」は入ってなかったんです。
「ええ!!どこにもないの?」
残念ながら・・・。(涙)
お隣の韓国だって、ちゃんと感謝されてました。
だって韓国軍が協力しましたからね。
でも日本は完全に「無視」されちゃったんです。
しかも、世界に対して、日本は無視されたということが、
宣伝されてしまったんですね。
巨額を出して、「多国籍軍」に協力したのに、感謝もされず、世界から冷笑されたという苦々しい経験。
これには、日本中が苦悩し屈辱的な想いを味わいました。

■日本外交失敗をあおったメデイア
いま、集団的自衛権行使容認の批判している新聞やメディアも、こぞって、当時の日本政府を批判してましたよ。
だって、集団的自衛権を行使できない以上、仕方がないじゃありませんか。
そういう貢献のしかたの何が悪い!!
ところが、メディアが垂れ流したのは、日本を辱める報道一色でした。
で、同じ新聞、同じ媒体が、今は集団的自衛権行使反対で、安倍政権批判を展開してます。
そんなもんですよね。
最近では、安倍総理が「イスラム国」対策で2億ドルを支援すると発表したら、それに対する報復として、日本人の人質二人が暗殺されたという苦々し出来事がありましたね。
さんざんな感じです。
 
■ どことも同盟できない国
さて話を戻します。
集団的自衛権が行使できない国とは、世界のどこも「同盟」関係を結ぼうとは思いません。
⑤参照

「俺があぶないときは、犠牲を払って守ってくれ。
 でも、お前があぶなくなっても俺たちは守ってやらないよ」
って言ってたわけですから。
どう考えたって、そんな虫のいい話は世界では通じません。
っていうか、そもそも「集団的自衛権を行使できない」という日本の立場だと、他国との軍事同盟は、成り立たないわけですから、
日本がどこかの国から武力攻撃を受けたとしても、
どこも助けてくれないと覚悟を決めるしかない国だったわけです。

■アメリカ様のおかげ
それでも、日本がやってこれた一つの大きな要因は、はい、そうです。
アメリカ様のおかげです。
世界で一番強い国、世界の警察を自負していた国。
アメリカ様が、日本を守るという条約があるからです。
それが「日米安保条約」ですね。
アメリカ様は、日本の唯一の同盟国です。
アメリカ様が強いから、日本はアメリカ様のおかげで、いままで無事にやってこれました。
でも、これがまたくせ者で、日本は、何かあったらアメリカ様には「助けてくださーい!とお願いできます。
でも日本は『アメリカ様を助けない』という一方的な条約だったんですね。
まじで?それ、都合よすぎねえか?
と、思いますよね。
でも、いろいろな歴史的流れで(③を参照)、
日本はアメリカ様に守ってもらうだけの国でした。
これが日米安保条約です。
こういう条約を結ぼうとする国は、他には絶対にありません。
そのかわり、日本を守るのは「アメリカ様」ですから、日本には、あちこちに米軍基地があるわけです。
日本に何かすることは、アメリカ様にけんかを売るようなものですから、他の国はなかなか日本には手をだせません。
アメリカ様〜ありがとう!!
ずっと元気で、強くいてね。。。
ず〜っと一方的に守ってね。

■アメリカ様もお喜び
でも、日本が、集団的自衛権行使可能な国になると、まずここが違ってきますね。
アメリカ様にとっては、願ってもないことです。
「お前のために体はってんだからよ。こっちのこともちゃんと考えろよな」
というくすぶってた思いが、ようやく解消されるんです。
アメリカ様が攻撃うけたら、うちも飛んでいきますよ。
安心してください!っていうことになるわけです。
だから、今回の法案を諸手をあげて大歓迎しているのは、アメリカ様であることは言うまでもありません。
だから、世界一の国、アメリカ様からの「評価」がとーっても高い!
それが今です。
まあ、今回のことは、はっきりいえば、アメリカ様の意向がとっても強く働いていると考えた方が自然ですよね。
アメリカ様の意向に、ノーを言える国になりたいですね。
なれるんでしょうか?
 そんな話はまた今度。
 
■あがる?抑止力
それはそれとして、集団的自衛権行使が容認されると、今まではできなかった他国との同盟や条約を結ぶ可能性も広がってきます。
経済的なつながり以上の関係を築く選択肢が増えるということですね。
これは今まで全く「皆無」だったチャンス。
全く新しい機会が目の前に突然、広がったわけです。
当然ですが、日本の外交にとって、有利なことです。
集団的自衛権を行使できる、という立場に「変わる」ことは、外交的なカードが増えるってことですからね。
これは、今までになかった新たなる展開です。
実は、この立場の変化は、国際社会での日本の立場を「あげる」ことに役立ちます。
たとえばですね。
メディアでもさんざん騒がれる「韓国」との関係でみてみます。
めちゃくちゃ反日の国です。ご存知のとおり。
あの国は、北朝鮮とは「休戦中」なんですよ。知ってますよね。
休戦中っていうのは、まだ戦争が終わってないということです。
つまり、韓国と北朝鮮はいまでも戦争中なんです。
以前も韓国に北朝鮮のミサイルが打ち込まれたことがありました。
韓国は常に「危機」と隣り合わせているわけです。
だから徴兵制もあるし、国防意識は半端じゃありません。
いつ、なんどき、北朝鮮の攻撃がエスカレートしたり、不測の事態が起こるかわからないのが、朝鮮半島です。
もし、韓国に対して北朝鮮が、武力攻撃を行ったら、今までだと、日本は韓国を援助することが出来ませんでした。
でも韓国から要請されれば、それが可能となります。
するとどうでしょう。北朝鮮にとっては「やべえな」となります。
だから、前よりも、韓国に対して、無謀な武力攻撃をしにくくなるわけです。
これが「抑止力」です。
そのような立場になると、日本は韓国にとって、今まで以上に発言力も増すわけです。
今までは、韓国にしてみると、日本はどうせ手も足も出せない国だったわけです。
でもそれが変わります。
当然見る目が変わります。
抑止力となっている国は、外交的には発言力を持ちます。
当たり前な力関係ですね。
だから、韓国にとっては、日本が集団的自衛権を行使できるようになるのは、韓国の「国防」上、願ってもないことなんです。
それなのに、韓国は今回の法案について、批判してますね。
変ですね。
なにが都合が悪いんでしょうか????
たとえば、中国をみてみましょう。
中国は中華思想っていうのがあって、「膨張主義」です。
領土の拡張を、あからさまに画策しているのを隠すこともありません。
ベトナムなどの国々と国境問題を、常におこしてます。
日本も尖閣が狙われてますよね。
中国との関係で迷惑を被っている東南アジアの国々もそして、他ならぬ中国も、日本は「絶対に」出てこない、ということを知っていました。
だから、中国は日本を恐れる理由はゼロ。
顔色を見る必要もなく、海洋進出を果たしてきました。
今も、なんか作ってますよね。でかいのを。
東南アジアの国々も、中国の脅威に怯えながら、日本への期待はゼロ。
中国の進出に日本は手も足も出せないのですからね。
でも、集団的自衛権行使が容認されると、日本は、いざとなれば「出てきまっせ」という国になります。
すると、中国も「やべえ、日本がきたらめんどうくせえな」
となりますから、あんまり無謀なことができなくなります。
これも「抑止力」です。
 
■東南アジアは喜んでる
すると、東南アジアの国も、中国の脅威と戦うために「日本」の存在に期待できるようになるので、より深い結びつき、深い関係を願うようになるでしょうね。
日本との「友好関係」をもっと強くしたい!と思うようになることが予想できるわけです。
すると、日本の存在感はましますね。
前よりも信頼されることになりますから。
フィリピンのアキノ大統領はこう言ってます。

「国際的義務を果たす日本の能力が強化され、両国の共通目標である平和、安定、相互繁栄という目標達成に近づくならば、フィリピンは日本国憲法を見直すいかなる提案にも警戒の念は抱かない。
日本政府が他国を助ける力を得れば、善意の国家にとっては恩恵あるのみだ」NewsWeek2014年7月11日

日本以外の世界は、こういう常識でバランスを保ってきました。
だから、今の日本の動きに、あからさまに「反対」したり「批判」する国々は、日本の抑止力が増すことを「良く思ってない国」ということです。
都合が悪いからです。
やりたいことができなくなるからですね。
じゃあ、国際社会で、日本の集団的自衛権行使容認のうごきを「良くない」と思ってる国ってあるんでしょうかね。
公に反対を表明している国ってあるんでしょうか・・・。
ありますね。確かに。中国と韓国です。
なーるほど。
次回はいよいよデメリット

5. 世界平和と集団的自衛権

11779764_10206754795499291_3022529865390888940_o

さて今回から、いよいよ集団的自衛権を行使した場合の、メリットとデメリットについて考えますよ。
でもその前に・・・。
国連が、なぜ「集団的自衛権」を認めているかということについて理解しておきましょう。
日本のお国事情を一旦離れ、世界にとって、これはなんなのか?ということを知っておかないと、そもそも話が通じませんからね。
日本も世界の一員なわけなんで・・・。

■同盟国ってなんだ?
ではいきます。
もし、どこかの国が、他国から攻撃を受けたら、「助けてくれ〜!」と頼む相手というのは、
仲がよくて、関係が近くて、助けてくれそうな国、ということになりますよね。
それが、いわゆる「同盟国」と呼ばれる国です。
さて、ここからちょっと外交の話になりますよ。
外交とか政治に詳しくない人は、ちょっとだけ頑張ってついてきてくだされ。
そもそも「同盟国」っていう「関係」は何かというと・・・
他国との間で、やばいことが起ったときに、お互いに助け合ったり、協力しあったりする関係を言います。
ここ基本です。
やばいことって?
つまり、攻撃されたり、侵攻されたりする、いわゆる『有事』ですよ。
そういうときに、「助け合う」関係。これが同盟関係です。
そういう国を「同盟国」と言うわけ。
ありがたいなあ。同盟国。
だって、助けてくれるんだもん!!
つ・ま・り・
同盟っていうのは、そもそも「軍事的に」つながることがが目的といってもいいんです。
ここ、か・な・り・大事です。
一般的に、同盟国といったら、
それは「軍事的に」同盟していることを意味しています。

■友好国は同盟国じゃない
もちろん世界には、軍事ではない「結びつき」もあります。
経済の結びつきなどですね。
今のように、経済関係が複雑に入り組んでいると、経済的なつながりも、かなり重要な一面です。
でも、だからといって、経済的つながりがある国イコール同盟国というわけじゃありません。
たとえば、韓国や中国との関係を考えればわかりますね。
経済的な繋がりは深いですね。でも、同盟国ではありません。
中国は殆ど『仮想敵国』になっちゃってます。
でも経済の結びつきは「深すぎちゃって」ちょっと大丈夫?というくらいでしょ。
いやあ、爆買い!!すごいです。
今、日本の同盟国っていうのは、たった一つ。
もちろん、アメリカ様でございます!!!
もう一度いいますよ。
同盟関係っていうのは、そもそも有事の際には「軍事的に」結束して同じ行動をとる、ということが大前提で結ばれる関係なんです!!!
これが世界の常識です。
同盟国同士は戦争しない!
そのかわり同盟国同士は、そうでない他国に攻撃されたら、助け合う。
必要な場合には、一緒に戦う。
これが「同盟」の基本的な関係性です。

■どんな意味があんの?
そもそも、なんで、国連がこういう考え方をするようになったかというと、もしですよ、軍事的に同盟する関係が認められないとしたら、どうなります?
国連に加盟してる全ての国は、自国だけで国を守らないといけませんね。
どの国も、どんな場合も、一対一のガチンコ勝負。
それは、それぞれの国が、軍事的には「孤立」している状態ってことになります。
分かりますよね?誰とも、協力できないわけですから。
するとどうなります?
必然的に、軍事力が強い方が勝つに決まってます。
だから、軍事的に優位な国は、必然的に「上から目線」になります。
「言うこと聞かないと、ひどい目に遭わせてやるぞ〜、われ!!」と。
これはヤンキーの喧嘩と一緒です。
そうすると、強い国は、国際社会で発言力を持ちますよね。
世界は軍事的に強い国の、やりたい放題になります。
だって、弱い国が攻められても、世界のどこも、助けにきてくれないんですから。

■孤立を防ぐシステム
これを防ぐのが「同盟」なんですね。
軍事力が弱い国でも、他国と結びつくことによって、絶対的に『弱いだけ』という立場ではなくなることができます。
ここが大事です!!!
軍事同盟っていう関係が可能になると、世界の国々がお互いに依存しあい、協力しあいながら、団結することを可能にします。
つまりお互い結びつきが強くなるわけです。
これは、国々の孤立を防ぐことに役立ちます。
軍事力が強い、超ワル国家が、弱腰で、優しい国を「俺のものにしてやるぜ」って仕掛けてきても、もし隣の、強い国が、
「おまえ、俺のダチに手出ししてみろ、俺様がだまっちゃいねえぜ!」
とにらみをきかせていると、どうでしょう。
そう簡単には、動けなくなります。
さらに、もし強い国の後ろに、さらに強い国がついていて、
「なんかあったらいつでも相談しろよ。俺様がとんでいってやる」
と言ってたとしたらどうでしょう。
超悪国家は、その『弱い国』と強く結びついてる「友達」たちのおかげで、弱い国に手を出せない、ということになりますよね。
こういう力関係は、子どもの頃、喧嘩した経験がある「悪い奴」の方が理解しやすいかもしれません。
こういうことを可能にする国際法
「集団的自衛権」なんですね。

■世界の平和を守ってる??
集団的自衛権がなければ、世界の国々が軍事的に結びつくことができなくなります。
集団的自衛権は、各国の軍事力を「結びつける」ことでそれぞれの国が『絶対的な孤立状態に陥ることを防ぐ』という、非常に大きな役割は果たしているんですね。
その結果、簡単には戦争をできない状態を生み出してるわけです。
これがいわゆる『抑止力』と呼ばれてるものです。
つ・ま・り・
集団的自衛権は、各国が軍事的にも結びつくことで、世界の秩序が守られるという積極的な側面を生む効果としては絶大であるわけです。
だから「国連」が国際法の名の下に、この権利を認めているわけです。
だから、これは世界にとって「いいこと」です。
わーい!
まずは、国内だけを見るのではなく、世界的になんなのよ?
ということを理解しましょう。

4. 守る権利は誰のもの?

誰のもの?

さて、いよいよ今回は、集団的自衛権について考えていきましょ〜。
巷では「集団的自衛権は悪だ〜」という声が大きくなってます。

■基本のき
まず、基本的なこととして、絶対によーく理解しておかないといけないことがあります。
それはね、そもそも『自衛権』っていうのは、全ての国が持ってる「自分の国を守る」権利のだってこと。
当たり前すぎて言うのもはばかられると思ってたら、なんと、なななんと、これさえ分かってるようでわかってない人がいたので、強調しておきます。
これは「権利」です!!!!と。
今回は「権利」ということにフォーカスして整理したいと思います。
集団的自衛権・・・
これは国際法国連から認められている当然の権利』です。
でも、国連から与えてもらわなくても、自分の国を守る権利は、その国にある、なんていうのは当たり前じゃない?
もしそれがなかったら、その国は「主権国家」とは言えないですから。
わかりますよね?
その国を守る権利はその国にある!!
他人からなーんにも文句言われるすじあいはありませんね。
まずこれ、基本。ほんとーに理解してますよね?
ね。ね。ね??権利です。
まずこの「守る権利は当然ある」っという基本をよーく
おさえといて下さいませ。

■個別的自衛権
じゃ、次。
でもって、自分だけで自分の国を守る権利を「個別的自衛権」と言います。
英語で言えば "Right of individual self defense"。
単独で、自国だけで自国を守る権利です。
これは問題ないよ!って、今回の法案に反対の人も言ってます。

■集団的自衛権
でも、相手が強そうなんで、自分だけじゃ心細いから、他の国に「手伝ってくれ〜」と頼みたくなったら、頼むのも自由ですよね?
ここわかりますよね。ポイントです。
頼んじゃいけませんか?
いいでしょ別に。
助けてくれるかどうかは、わかりません。
でも、助けてくれる?って、きくのは自由です。
それをする「権利」がありますよね。
ね。ね。ね???
こっちが「集団的自衛権」の大前提です。
"Right of collective self defense"です。
「お前、他の奴に頼むんじゃねえ!自分だけで守れや!こりゃー!」
なんて言われる筋合いはありません。
それこそ、そんなこと言う権利は誰にもない。
当たり前すぎる〜!!!
と思いませんか?
ここ基本。
これは「自衛」の権利の一つです。
これがあって、初めて、頼まれた国が、行動を起こすわけです。
 
■説明おかしいだろ!
と・こ・ろ・が・です!!
これがメディアの説明だと、ひっくり返ってて、
攻撃されてもいないのに、
『他国を攻撃する権利』って説明されてるんですね。
おかしくないかい?
もちろん結果的に、交戦する場合もありますよ。
でも、それは結果であって、頼まれてもいないに、「おめえ、なめんなよ」って勝手に出てくることはできません。
だから、集団的自衛権の考え方として、正しく理解しておかないといけないとーっても重要なことは、この考え方がなりたつ大前提にあるのは、危険に遭遇している国が、自分の国を守るとき、他の国に助けを頼んで、他の国の助けを得て、一緒に、自国を守る権利だってこと。
だから「集団的自衛権」です。
あくまでも「自衛権」です。
これは別にいいでしょ?

■頼まれたら考えて決める権利
じゃあ、「助けてくれない?」って頼まれた国が「よっしゃ、他ならぬお前のたのみだ」と
助けるか助けないかは、頼まれた国の勝手です。
絶対助けなきゃいけないという強制だったら、自由がありません。
その国は自主独立した「主権国家」ではありませんね。
でも、助けてあげたければ、きっと助けてあげるでしょうね。
どうしようかなっと考えた結果、
「よし助けたあげよ!」と決める権利は、頼まれた国にあります。
「おい、お前の出て来るまくじゃねえだろ!」
と文句を言う国はあるかもしれません。
でも、助けてあげうようとする権利は、当然その国が持ってる権利であることに、変わりはありません。
こっちが、一般的に説明されている
頼まれた国の権利です。
でも、攻撃する権利じゃなくて、防衛する権利です。
「ACT OF DEFENDING /防衛の行動」です。
頼む方にも頼まれた方にも、
それをする権利がありますよね。
わかります??
あんまりにも簡単なことで、
説明してても恥ずかしくなってくるんですが、これが「集団的自衛権」です。
権利がなかったら「主権国家」じゃないということなんです。
ここまで、異常ですか?
変ですか?
悪ですか?
レギオン(悪魔集団の名称)ですか???

■自分できめちゃいけない国
助けてあげるか、あげないかは、そのときの事情と都合で、自分で決めるよ。
助けられれば助けるし、無理だったら、悪いけど、今回はできないよ。
っていう判断ができるのが、成熟した大人の姿。
じゃありません?
でも、それはダメだ。
自分で決める自由なんてないんだよ。
それを決めることは「悪なんだ!このやろ〜、レギオンめ!」
っていうのが、今の日本になってます。
うーん・・・
もちろん、そうなってしまったのにも不幸な歴史と理由があります。
そこはまた次回。
で・も・・・
「攻撃」とか「戦争」という言葉が一人歩きして、そもそも、ものの本質から目がそらされがちになってしまいます。
でもまず、集団的自衛権が、良いか悪いかを論じる前に、主権国家の自主独立した姿ってなんだろ?
その国の権利ってなんだろ?
という基本に立ち返って、
権利というものの属性というものを
しっかり理解しておいた方がいいんじゃないかなあ。

3.憲法解釈七変化の巻

20224_10206721393544263_2460019275055623157_n

■戦後日本の歴史的大転換?!
安保法案が可決されたことで、「戦争法案」だと叫ぶ声が溢れていますね。
本当に戦争法案?
そんな疑問を感じてる人もいるでしょう。
「なんだか分かんないけど、弁護士の先生たちや俳優さんたちまで反対って言ってんだから、憲法違反なんだろう」
という空気がありますね。
国家権力を監視して、異を唱えるのは国民の大切な役割ですから、実際に行動を起こしている人々には敬意を表したいと思います。
でも、中身ほんとーに分かってるよね?
ということだけは注意しといた方がいいでしょう。
今回、「集団的自衛権」が容認されたことを受け、メディアや、反対する人々の論調で、際立って目立つのは「憲法9条は集団的自衛権を認めていない!」
というものです。
「個別的自衛権」は認められるが、『集団的自衛権』は憲法違反だ!!という主張ですね。
集団的自衛権を「悪魔」的に毛嫌いする雰囲気がないですか?
「出たな、レギオンめ!(聖書に登場する悪魔集団の名称)」的な…
「集団的自衛権は、日本が攻められてもいないのに、他国の人を殺しにいく法案だからダメだ!」というパニック的な感情論がとっても多いですね。
でも、集団的自衛権ってそんなに「悪」なんでしょうか?

■集団的自衛権って憲法と関係ないよ
内容に行く前に・・。
日本には平和憲法の要である憲法9条があります。
憲法9条で、日本は「武力の行使を永久に放棄」したので、軍隊をもってはいけないし、国の交戦権(戦争する権利)もありません。
でも、この憲法9条が、個別的自衛権は認めている。
だけど、集団的自衛権は認めてない!!
だから、今回の法案は「憲法違反だ!」!!!!という論調が多いわけなのです…
でも、これは、違います!!!
え?違うの・・?
そう違うんです。
憲法は「個別的自衛権」について何も言ってませんし、集団的自衛権についてもなーんにも、まるっきり言ってません。
憲法9条の文言の中に、個別的自衛権も、集団的自衛権もでてきませんよ。
だって、この二つは国際法の概念なんですから。
日本国憲法とは関係ありません。
ここ、間違わないでください。
個別的自衛権も、集団的自衛権も、国連が認めるもので、国連に加盟している世界の国が当然もつべき「権利」なんです。
個別的自衛権というのは、自分の国を守る権利で、集団的自衛権は、他国と一緒にある国を守る権利といったところですね。
詳しくは次回。 

内閣法制局が決めるんです!
で、それを憲法に照らして、OKかどうか、というのは、
②で言った通り「解釈」なんです。
これは認められるよね・・でもこれはダメだよね・・・
と「解釈」してきたというわけです。
これを決めるのは「内閣法制局」という機関です。
これは、政府が国会に法案を提出するときに、憲法と、諸々の法律をてらして精査する機関です。
で、ここで「OK」となるとOKになります。
今回「集団的自衛権」を容認することになったというのは、この内閣法制局が「そう解釈して」OKとなったという意味です。
だからこれは解釈です。
解釈の結果、OKになったのです。
それまでとは、違う「解釈をした」ということです。
憲法の文言は一語一句変わっていません。

安倍総理はレギオン??
さて、いよいよ本題。
今回、安倍政権が「集団的自衛権」を容認したことで、日本中に「悪だ!」「平和破壊だ!」「レギオンだ」と反対の渦がまきおこって、
あ・た・か・も・安倍首相が、戦後70年の歴史の中で、絶対に超えてはならない一線を超えさせてしまった悪の権化!であるかのような反対論が沸騰しています。
でも、この認識も大間違いなんです。
今こそ、事実は事実として認識していくという「クール」な視点が求められています。
クールジャパンでいきましょう。

■じゃあ、歴史の流れを確認しましょう
そもそも、今の憲法は、日本が敗戦した後、アメリカ様から「与えていただいた」憲法です。
しかも日本は占領されていたわけです。
マッカーサー元帥は天皇以上の存在になってちゃいましたから、そんな中で、日本は「自衛権」もなにもあったもんじゃない。
だって「占領下」ですよ。
ここがポイント。
軍は解体され、占領軍が駐屯していたわけです。
軍隊が無い以上、自衛の手段もありません。
槍で戦うわけにもいきませんから。
そんな状態なんで「自衛権」なんていうのは、考える段階になかったわけです。
それが「敗戦国」のスタートです。

■いよ、初登場!!
そんな中、「集団的自衛権」という言葉が国会で初登場するのは、1947年、占領されて2年後です。こんな会話が議事録にのこっています。
12月21日の衆議院外務委員会の記録です。
西村外務省条約局長(現国際法局)という方が、こう発言してます。

『ただ一つ新しい現象といたしましては、国際連合憲章の、今、申し上げました第50条か、
51条かに、国家の単独の固有の自衞権という観念のほかに、集団的の自衞権というものを認めておりまして、そういう文字を使っております・・・この集団的自衞権というものが、国際法上認められるかどうか、ということは、今日、国際法の学者の方々の間に、非常に議論が多い点でございまして、私ども実は、その条文の解釈には、全く自信を持っておりません』
(第7回 国会 衆議院外務委員会議事録第一号)

Wow!!! 重要な歴史の瞬間ですね!
占領下の日本。
国会で「集団的自衛権」が論じられた歴史的瞬間の記録です。
いやあ、しかし発言の中身には、驚きですよね。
「最近さ、国連で、集団的自衛権って言葉が使われてるんだけど、全くわかりませーん!」
というのが、当時の条約局の一番偉い人の発言です。
集団的自衛権?新しいなあ・・・
そんなのあっていいの?
そもそも何それ?
まったくわかんねー。
と言ってるわけです。
これが日本での「集団的自衛権」の歴史のはじまりです。
だから、憲法9条が禁止してるんだ!とまるで、初めから禁止事項であったかのような印象を持ってる方は、その認識を改めましょう。
禁止もなにも、その「概念」そのものが曖昧だったんですから。

■西村局長の理解
ところが、さすが、西村局長。
次の年には、ちょっと理解が深まってるんですね。
同じ委員会で、中曽根康弘議員から質問されるんですが、こう答えてます。
元首相の中曽根さんです。若かりし頃の。

中曽根 
「お聞きいたしたいと思うのでありますが、この集団的自衛権の問題です。それは国家の基本権として、国家が成立するからには当然認められる権利なんですか?」

西村局長 
「もちろんそう考えております」
(第七回国会 衆議院外務委員会議事録第七号)

おおー、なんと!
一年後、1948年の段階で、西村局長は、はっきりと「集団的自衛権は認められる権利」と仰ってますよね。
これは「国際法」ですから、世界の国がもってる「権利」だと。
さすがです。
微妙な問題ですからね.占領下では。
GHQに睨まれて公職追放になる危険だってあったのに堂々と発言されてます。
さらに重要な歴史的事実は、この段階で、憲法9条がどうの、という縛りは一切でてこない
ということです。

■初めての解釈
集団的自衛権は「こういうものだ」と、具体的な解釈が、ようやくでてきたのは、1951年2月です。戦後6年たってからです。
そして、同じ年の7月になって初めて、憲法9条との、関連がでてきます。
西村局長は言います。よーく注意して読んで下さい・・・
『日本は独立国でございますから、集団的自衛権も、個別的自衛権も完全に持つわけでございます。持つております。
ただし、憲法第9条によりまして、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段でありまする軍備は一切持たないということにしております。
又交戦者の立場にも一切立たないということにしております。
ですから、我々はこの憲法を堅持する限りは、御懸念のようなことは断じてやってはいけないし、又他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる次第でございます』
第十二回国会 参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録十二号

さあ、これが憲法9条との関連性での「解釈」の始まりです。
国際的に「自衛権」というのはあるよな。
でも、あ、そうだ。うちには9条があった。
だから、自衛権は持ってるけど「使えません」と言う『解釈』にしよう・・・となったわけです。
重要なのは、個別的自衛権も、集団的自衛権も「両方使えません」という解釈だったということです。
いやはや、
これは、実はアメリカ様との微妙な駆け引きの歴史です。
ちょうどこの頃、朝鮮戦争が勃発して、日本にいた米軍はごっそり朝鮮半島にいってしまったんですね。
すると、日本がまる裸。
まずい、ソ連にとられちゃうぞ!
そこで、マッカーサー殿は、当時の首相「吉田茂」にいいました。
「あのさあ、吉田君、7万人のアメリカ兵がいなくなるから、7万人分の軍隊を組織してくれない?そうじゃないと、日本がとられちゃうよ」

■あっと驚く手のひら返し
吉田茂はじめ、閣僚たちはさぞびっくりしたでしょうね。
なにそれ?
アメリカ様が軍を解体させたんじゃありませんか?
それを今になって、再軍備せよ!ですか???
「そうだよ。吉田くん、事情が変わったんだよ。わっかる〜?」
そうやってできあがったのが「警察予備隊」。
これが自衛隊です。
で吉田君は、初めはアメリカ様に反発して「いや、日本はアメリカ様に守っていただくことを、国民は願っております!」
なんて言うんですね。
でもアメリカ様のご意向は絶対ですからね。
そういう流れの中で、日本も再軍備の道へと進みます。
そんな激動の中での発言ですね。
「日本は自衛権はある。でも9条があるから、その自衛権は行使できません!」
アメリカへのあてつけにも聞こえてきます。
もしかすると、勝手な都合で再軍備を要求してきたアメリカ様への密かなる抵抗かもしれません。
天国にいったら吉田茂に聞いてみたいですね。
アメリカにとって憲法9条は大失敗の政策になってしまいました。
マッカーサーのとっては頭痛の種。
ニクソン大統領なんて、1953年11月19日に「あれは誤りだ」とまで言ってます。
アメリカは、とにかく憲法9条を即刻変えてほしかったんです。
そういうシロモノです。
憲法9条を考えだしたのはマッカーサーです。
日本人ではありません。
これは、史実です。
でも、事情が変わって、この9条がアメリカ様にとっては、『そんなの変えちゃえよ』という
おじゃま虫になってしまったのです。
しかし結果的に、日本は個別も集団も含め、「自衛権」を行使できない!という解釈をして、
これがその後の、日本政府の立場になります。
で、②で言いましたが、自衛隊は今も「軍隊」ではありません。

■日本の事情も変わってきた
ところがですね。
日本がいよいよ独立して、主権が回復してから後、日本の国際社会での立場も変化してきたし、日本人の意識も変わっていきました。
で、1960年になると、林修三法制局(現・内閣法制局)長官はこう言うんです。大事ですから、よーく注意して読んでね。

『米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して、あるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを、私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません』
出典:林修三法制局長官(第三十四回国会 参院予算委員会会議録第二十三号

なんとです。
集団的自衛権は「認められる」と言ってるわけなんです。
内閣法制局の局長です。そういう解釈になったんですね。
戦後15年経ったこの時代には。
だから、あたかも、安倍政権が、戦後の歴代内閣がずっと積み上げて来たものを壊した張本人だ!的な批判は、ウソ!!
間違ってるんです!!
憲法9条に関する解釈は、少なくとも7回は変わってきています。
すごいです。解釈7変化!!!

■個別的自衛権と、自衛隊を認めたときの大噴火!!!
しっかり歴史を理解しておかないといけないことは、1950年、自衛隊の存在を認めて、同時に、個別的自衛権を認めるという、ウルトラCの忍者解釈を打ち出したとき、野党や憲法学者などが、それりゃもう、「このやろー!死ね」ぐらいの勢いで、与党を大罵倒して、当時の政権を批判しました。
それなのに今は、自衛隊はよくて、個別的自衛権もいい。
だけど「集団的自衛権憲法違反だ!
ですと…?
当時、罵倒されながらも、それがアメリカ様の意向であったとしても自衛隊をつくり、再軍備し、忍者解釈で、軍隊を作ってしまった
当時の日本政府に、僕は、本当に感謝してます。
自衛隊があってよかったな〜〜〜
と思ってるんです。
彼らは災害救助のための訓練ではなく、国を守るための軍事訓練を積んでいるので、結果的に、災害時に、ものすごく大きな力になってくれてます。
嫌われたっていい。
日本の将来のことを考えたら、今やるっきゃない!
当時、政権を担っていたリーダーたちは、そう思ったわけですよね。
アメリカとのせめぎ合いの中で。
今の、政権もそういうことをやってるのかもよ?
という落ち着いた味方もあるかもな、と
一考してみるというのはいかがでしょう?

2. 違憲だぞ!

違憲だぞ


安保法案が衆議院本会議で可決。
戦後の、日本の民主主義の大きな汚点!だと
野党はじめ反対派の人々が声をあげている。

憲法学者が「違憲だ」と言っている法案を強引に通す安倍首相は
民主主義の崩壊だというわけだ。

多くの人々が「戦争法案だ!」と叫んでいる。
しかし政府は「戦争を未然に防ぐ抑止力だ!」という。
何がどうなっているのか・・・

実際に「中身分かってます?」と尋ねると「よくわからないけど、戦争はいや」という人が多い。
よくわからないで反対?
こっちの方が違憲、あ、いかん。

反対も賛成もまずはしないでいいから、
そもそも、違憲ってどういうことよ、という
基本を考えましょう。

ご存知のとおり、今回の論争の一大問題は「集団的自衛権」の行使を
限定的に容認したということ。
まずここ、わかってますよね?
ここを理解していない人も多いので、
念のため確認です。

じゃあ、集団的自衛権って何?ということになりますが、
でも、その前に・・・

この議論は、憲法9条が存在するから起るものだということは
知っていますよね?
そうなの?
なんて言っている人は、反対や賛成を論じるスタートラインに立って
いませんので、よくここを理解しておいてほしいものです。

日本の平和憲法平和憲法たる所以は、「憲法9条」の存在です。
では、うわさの憲法9条とはなにか、読んだことあるとは思いますが、
もう一度読んでみましょう。
これです。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
  国際紛争を解決する手段としては、
  永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
  これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これが世界に輝くうわさの憲法9条
この条文が意味していることは極めて明白です。

日本国は、①武力行使を永遠に放棄した!
だから  ②陸海空軍その他の戦力、つまり「軍隊」を保持しない!
さらに  ③交戦権(戦争をする権利)も認めない!

もう一度9条読んでください。何度も読んでください。
普通に日本語を理解できる人なら、
憲法9条はこう言ってます。しつこいようですが・・・
日本は   ①武力行使を永遠に放棄しました!!!!
      ②だから軍隊を持ちません
      ③さらに、戦争する権利である「交戦権」も認めません。

という三つを高らかに宣言していることが分かるはずです。
よね・・・?
これが憲法9条です。

憲法9条は、はっきりと、日本国は武力を放棄したから、軍隊も持たない
し、戦う権利も認めないと宣言しているわけです。
うわさどおりの優れものです。
これはもう超ウルトラ級の理想主義の『憲法』と言えますね。

つまりこの憲法9条は、日本は武器をもたず、丸腰で生きる国になる
ということを宣言しています。
つまり「非武装」国家になると。
そして、交戦権を認めないのだから、たとえ他国が戦争をしかけてきても「戦う権利」がないのです。

あれ?
おかしいぞ。
じゃあ、自衛隊っていうのは何?
あれって「武力」じゃないの?
でも戦車とか戦闘機とかあるよね。
自衛官は機関銃とか、持ってるよね。
丸腰の非武装国家じゃなかったの?
おかしくね?

おお、気づきましたか。
そうなんです。
どう考えたって、憲法9条によれば、
自衛隊の存在が、そもそも憲法に違反してますよね。
これが普通に読んで行き着く結論です。

これでは都合が悪い。
だ・か・ら「自衛隊は軍隊ではありません」と言っているのが
日本の立場です。
自衛隊ですよ。軍隊じゃありません!どこに目を付けてるんですか?

「そ、そんな・・・見れば見るほど『軍隊』ですけど・・」
「あんた、頭おかしいんですか?軍隊じゃないって言ってるでしょ!自衛隊と言なさい」

「でも、海外にいくと自衛隊はアーミーだと普通に認識されてますよ??」
「それは、彼らがバカなんですよ。どこに目をつけてるんでしょうね。
 断固として軍隊じゃありませんからね!!フン!!!」

ああ、めまいがしてきます。
子どもだって、自衛隊が「武力」であることはわかります。
それなのに「軍隊じゃない」と言い張ることによってしか存在を認められないもの。
それが自衛隊です。
頭がくらくらしてきます。
でも、これが憲法9条です。
それほど明白に「武力を放棄」と宣言しているのです。

そうなのです。
憲法9条というのはそういうものなのです。
だって、そもそも、この憲法は日本を『丸腰』にして『武装解除』させ、
二度と連合国に刃向かわせないために、『アメリカ様』が考えたものなんですから。

マッカーサーの命令一下、大急ぎでアメリカ様が作った憲法草案を
ほぼそのまま呑まされた形で制定されたものですから、
日本が「丸腰」「丸裸」になることを定めているものです。

他の国は軍隊をもっていいけど、日本だけはダメだ。
他の国は戦争をしてもいいけど、日本だけはダメだ。
日本は他国に攻められても、戦ってはダメだ!

これはね、良い悪いの問題じゃないんです。
これが「敗戦」ということです。
日本は戦争に負けたんですよ。

その代わり「アメリカ様」が占領軍として
日本にドカっと腰をおろしていたわけです。
「俺様が戦ってやるよ」というわけですね。

そして、アメリカ様は、連合国の一員ですから、
日本は連合国が守るということになっていたわけです。
これが「国連」ですね。
国連って、日本と戦った「連合国」のことなんですよ。
これ知っておいてくださいよ。

ですから、歴史的な流れからいって、
日本は国連が守ればいいので、
日本に「軍隊をもたせない」
というのが憲法9条の趣旨だったわけです。

しつこいようですが、
憲法9条の目的は日本を軍事的に解体して、
丸裸にさせるのが目的でつくられたものです。

これ言うと、必ずヒステリックに叫び出す人がいるんです。
「何言ってるんだ!これは日本人が作り出した素晴らしい理想だ!」
という具合に。

でも、歴史は歴史なんですから、護憲派の人がいくら叫んでも、
歴史は変わりません。
もちろん、当時の日本にだって、社会党共産党の人がいたわけ
だから、憲法9条に大賛成だった人もいましたよ。
そういう人たちにとっては、大歓迎のものだったでしょう。

さて、話を戻しましょう。
そういうわけで、歴史的な流れと、憲法9条が作られた
目的からいって、自衛隊の存在は「憲法違反」です。

自衛隊は、この憲法が出来たときの意図に反しているのですから、
自衛隊そのものは、現行憲法では明白に『違憲』なのです。

憲法学者というのは、憲法の学者さんですから、こんなことは当然理解
しています。
ですから、朝日新聞が行なった調査によれば、63%の憲法学者
自衛隊違憲」だと回答しています。(7月11日掲載)

そもそも自衛隊そのものが「憲法違反」だと考えている学者さんたちに、
今回の安保法制が憲法違反かどうか問いかけること自体に意味があるの
でしょうか?
彼らは、『違憲』と言うに決まってるじゃないですか。
自衛隊違憲なのだとしたら、自衛隊のアクションは全部違憲
だって存在そのものが「違憲」なんですから。

じゃあ、なんで今、自衛隊が存在してるわけ?
となります。
そこです。そこが大事なところなんです。

これは「解釈」を変えてきたからです。
なんの解釈かって?
憲法9条ですよ。
どう読んだって「憲法違反」なのに、

いや、どんな国でも、国際法が認める「自衛権」はあるよね。
この憲法自衛権を否定するものじゃないよね。
だから、自衛のための最低必要限度の武力はもっていいよね。

憲法9条を変えずに
『解釈』を『変えて』きたのが、戦後の歴史です。
これは苦肉の策なんですね。
ウルトラCです。
忍者です。

解釈を変えるなんていうややこしいことをするよりも
条文そのものを変更した方が無理はない。
「自衛のための必要最低限の武力を保持することを認める」
にすればいいじゃないですか。

でも、何がなんでも変えるな!
という世論が強いから、一語一句かえずにずーっと来てる。
だから、苦肉の策で「憲法解釈」を変えてきたというわけです。

ということはですよ。
今回の安保法案も「解釈」の問題だとわかります。
ここ、立ち止まってください。
ここが重要!!!
今回の論点は「解釈」の問題であって、憲法を守るか守らないかの
問題ではありません!!!
憲法は、すでに条文どおりには「守られていない」のです。

そもそも「集団的自衛権」というのも憲法には出てきませんよ。
今論じられていることは、すべて「解釈」がいいか悪いかなのです。

それなのに、いまさら「これは憲法違反」だと言い出したから
あっと驚きました。
「え?なにを今更言ってるんですか?」と。

若者たちが、日本を救いたいという気持ちから、
拡声器をもって
憲法を守れ!憲法を守れ!憲法を守れと言ってるんだ!」
と叫んでました。
勇ましいです。
そして純粋です。

でも、実は「憲法を守れ」っていう台詞、その発想、そのものが
すでに破綻した理論なんです。
今の日本では、それは成立しない考えなんです。
ここが重要です。

解釈を守れ!ならわかります。
今までの解釈を変えるな!
なら意味は通じます。

でも、憲法を守れ!というんなら、
自衛隊を解体せよ!と言いましょうよ。
それが本当に厳格に憲法を守りたい人の願いであるはずです。

これを堂々と言ってるのは「共産党」だけですよね。
そういう意味では共産党は偉いです。

だから彼らに敬意を表して、災害が起っても、自衛隊共産党員を助けないことにしましょうよ。
だって「憲法違反」を犯している武装集団に助けてもらうなんて、彼らの誇りを傷つけますから。

あと、今回「憲法学者違憲だと言ってるんだから、安保法案は憲法違反だ!」と
息巻いている人々にも、覚悟を決めてもらいましょう。
地震が起きても、自然災害が起っても、自衛隊のお世話にならないと。
絶対に助けてもらわないでください。

もしかしたら、東北でお世話になった人はいませんか。
あなたは東北出身ではありませんよね。

自分の家族のことも顧みず、見ず知らずの人々を命がけで
助けた彼らは「憲法違反」を犯している存在なんです。
だから必死で災害現場で救命活動をしている彼らに
「助けるな!!憲法を守れ!」と叫んでください。

中国の飛行機が領空に侵入してくる挑発行為に対応すべく
スクランブル発進」している航空自衛隊パイロットに
憲法守れ!」と叫びましょう。

彼らこそ、存在してはいけないからです。
だって憲法違反なんだから。

安保法制うんぬんよりも、自衛隊を解体せよと言う方が
早いでしょ。
自衛隊がいなくなったら、今の問題も全部なくなりますから。
だから、ね、解体しましょうよ。

自衛隊がなくなったら、どうやって、誰が国を守りましょう?
なくなるなんてことは困るから「自衛隊」をちゃんと「国防軍」と呼ぼうよ、
というしごく当然の提案している安倍総理を「ファシスト」と非難するんだったら、

決然としたゆるぎない信念をもって「自衛隊解体」こそが
日本の生きる道だと信じて、今からデモをしてください。
それをする気がないなら、「憲法守れ」と叫ぶのもやめましょう。

ちなみに僕は自衛隊という名称は好きです。

ややこしいですね。
そういう問題です。
今起っていることは。
どうしましょう?

1. 日本国憲法前文の夢

憲法前文の夢

『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』

安保法制が騒がれている。
「戦争させない!」と反対する人々がシュプレヒコールを上げ、国会前でデモなどを展開するとメディアは必ずとりあげる。
人々は、不安を煽られ「反対」に回る。

今回安倍政権が目指している安保法案採決に向けて、国民的反対論が噴出するきっかけとなったのは憲法学者が「これは憲法違反だ」と発言したことによる。
自民党推薦の憲法学者さえも「違憲」と言ったのだから、さあ大変だ。
じゃあ、そもそも何が憲法違反なのかとういことを考えないといけない。
もちろん、ここで議論になっているのは憲法9条だ。
しかし、今だからこそ考えよう。
日本国憲法とはなんなのか?ということについて。

前もって言っておくが、僕は「平和」を求めている。
基本的に「反戦」である。
戦争反対。絶対するな!
これが基本。当たり前だ。
戦争をするべきだと考えている「クレイジー」な人間ではない。
皆さんもそうですよね?
平和を守ろう。
問題はどうやって守るかだ。
この大前提で日本国憲法を考えよう。

結論を言うと、この憲法や夢だ。
素晴らしい。理想だ。いやー、すごすぎる。あっと驚くほどの夢物語り。
9条を論じる前に、前文の段階で「ショック死」しそうな程理想的なものである。
前文というのは、憲法全体の意義や性質を説明している部分であって、この前文が憲法の趣旨の全体を説明している。
そこになんとあるだろう。
こうある。

『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』

あっと驚きませんか?
これを読んで、心がざわざわしない人は、現実世界じゃなくて、夢を見ている人です。
前半の「崇高な理想を深く自覚する」まではいい。
そうだ!と思う。
いいぞ!理想だ。

しかし、そのあとが驚愕である。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した」
え???
わかるよね。意味が。
諸国民の公正と信義とに信頼して・・・

え〜???ほんと?これ・・まじで。それでいいの?

この意味は、日本の安全と生存を保持する大前提は、「世界の人々の正しさと約束を絶対まもる信義」とがあるからという
ことだ。
世界の人々はみな平和を愛していて、正しいし、間違ったことを絶対にしないから、彼らを信頼して、日本はいきていこう!という意味。
他国は絶対に侵略もしないし、領土侵犯もしないし、国際法を遵守するし、間違ったことは行なわないし、絶対に戦争なんてしようと思わないから、日本は安心できる。世界は素晴らしいな。
だから我々も、戦争なんてしませんよ。
というおとぎ話のような大前提が、日本国憲法なのだ。
だから、平和憲法なのだよ。
絶対に侵略されることなんてないんだから、武力なんてもってはいけない!
日本は永遠に武力を放棄する!!!
わーい!!!
世界平和だー!
これが前文である。

そうだ。そうだ。世界はみんな正しいんだから。
戦争しようなんていう国、そんな輩はいないんだから。
中国は絶対に侵略してこないよね。
中国をみればわかるよね。国境問題なんてどこの国ともないよね。
ロシアは絶対、クリミア半島を力づくで奪い取らないよね。
テロリストたちはイラクで仲良くしてるよね。
シリアはイスラム国の脅威なんて感じてないよね。
北朝鮮が飛ばしてるのはミサイルじゃなくてアドバルーンだよね。
竹島は日本だから、自由に旅行できるよね。

ああ、目がくらくらしてきた。
さすがだ。

パラオの大和魂⑤ 最終回 日本によって輝く南洋の国

Tr00100420121221103056563
◼︎鎮魂のペリリュー神社
①〜④にわたって、パラオ大和魂と題して書いてきたが、僕は戦争を美化したり、日本を軍事大国化するたするための啓蒙活動をしているのでもない。
ただ、これは実話なのだから、もっと日本人が知るべきことだと思っている。
日本は第一次世界大戦当時、東洋の国として、歴史上はじめて、西洋列強の植民地主義と戦うことができた唯一の大国となったていた。
だから国際連盟によるパラオ委任統治が許された。
そして、日本統治時代が、パラオを植民地の悲惨から救い出したのだ。
④で書いた出来すぎた日本軍の感動的逸話も、確かに事実だった。
この日本人のスピリットに心を打たれたのは敵国アメリカも同じであった。
今、ペリリュー島「ペリリュー神社」に日本人の魂を賞賛する記念碑が建っている。

『この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を』
800px-Text_of_Nimitz
 
これはニミッツ提督の言葉であるとインターネットで流布しているが、それは正しくない。
実際には誰の言葉であるかわからない。
しかし、日本と激しい戦いを繰り広げたアメリカ人の誰かが記したものであることは分かっている。
しかし日本は敗戦した。
そして、1920年から日本の委任統治領だったパラオは、アメリカの信託統治領になる。
戦後、パラオの全てが変わった。
日本は悪。
アメリカは善。
この世界観は、日本ではGHQの統治時代に完全に定着し、日本は国家をあげて軍部批判を展開し、戦前の価値観の全否定へと舵を切った。
国のために決死の戦いを演じた軍人たちは、非難され、まるで罪人のように扱われた。
重く暗い恥ずべき歴史だ。
同じ路線の教育は、パラオでも実施された。
それどころか、日本の工場が破壊されるなど、日本の痕跡の排除が徹底されていく。
公用語が英語に変わり、教科書も書き換えられた。
しかし、日本を否定するアメリカの教育は、パラオに根付かなかった。
パラオ人は、日本への感謝を忘れず、反日的な考えを受け入れなかった
からだ。
なんとありがたいことか。

◼︎独立国家の印
そんなパラオも、ついに独立するときがきた。
15世紀以降、西洋の植民地主義に翻弄され続けて来た南洋の島が、初めて近代国家として独立するのだ。
1994年10月1日。パラオは「パラオ共和国」として、独立した。
国家には国旗が必要だ。
70余りの候補の中から選ばれた国旗。
それが今のパラオ共和国国旗だ。
11174845_10206058682256895_7680614525679512457_n-2
 
そして、この国旗は、なんと日本に対する深い想いから生まれたものなのだ。
彼らは言う。
『私達は国旗の選択に相当苦労した。 大募者は悉く各島の人々であり、それぞれの旗にパラオの歴史と伝統がこめられていた。 だから、選考委員会は真剣であった。
選考に日数をかけた。でも、最終的にこの旗にきまったのは、日本の旗に一番似ているので、最大の人気が集まった 日の丸の部分を黄色にしたのは月を現す。
周囲の青地は海を意味する。
月は太陽が出ないと輝くことができない。
つまり月は太陽によって支えられ、月としての生命を持つ。
太陽とは日本のことである。
海に囲まれ
パラオという国は、日本の太陽の反射によって輝かねば生きられないのである。
我々はまた戦争中に、日の丸を掲げて強大な米軍と交戦した日本軍将兵の勇敢さと純粋さに、大きな魅力と尊敬を捧げている。 一万に及ぶ英霊たちは私達に、勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのである・・・』

ブルーは海。真ん中の黄色い円は月を表す。
日本の日の丸が太陽ならば、パラオはその光に照らされて輝く月であると。
月は日の光が無ければ輝かない。
パラオは日本という光がなければ輝かない国なのだと、この国旗は彼らの想いを世界に伝えている。
「月」が、真ん中から少しズレているのは、日本に対する敬愛から、同じにならにように少しずらしたというのだ。
真ん中でないことに彼らは、民族の「徳」を見出した。
なんということか。
相手を思う慎みの心、左右非対称を美とする日本精神は、パラオに受け継がれたのだ。
国旗はその旗の下に、団結して戦い生きることの証である。
古代ペルシャの5000年前の金属製の旗印も、考古学者により発見されている。
旗とはその共同体の印である。
個人ではなく、その共同体が一つの旗しるしのもとに生きるということだ。
だから国旗には、その国の性質や理念を現しているものが多い。
パラオは、南洋の日本精神を、慎みをもって輝かせる国なのだ。
しかも、みずからの力で輝いているのではなく、日本のおかで、輝くことができるのだと、世界にむけて語り続けている。
国旗とともに、ペリリュー兵士の歌も作られた。
「ペ島の桜を讃える歌」である。
それは彼らの心に刻まれている日本の心を歌い上げいるものだ。
彼らは、日本の桜を見たことがない。
それなのに、日本の兵士を桜にたとえ、日本情緒を見事に表現している。
作詞者はオキヤマ・トヨミ氏、ショージ・シゲオ氏。
日本人ではなく、現地の人々である。
日本を慕って止まない心。
それが国民の8割以上が、姓名のいずれかに日本名を名乗る習慣となった。
詩の中にあるペリリュー兵士とは日本兵を意味している。
感動的なこの歌の歌詞をぜひ噛み締めてほしい。

「ペ島の桜を讃える歌」
1.激しく弾雨(たま)が降り注ぎ  オレンジ浜を血で染めた 
強兵(つわもの)たちはみな散って  ペ島(じま)は総て墓地
(はか)となる

2.小さな異国のこの島を 死んでも守ると誓いつつ 
山なす敵を迎え撃ち 弾(たま)射(う)ち尽くし食糧(しょく)
もない

3.将兵(ヘいし)は桜を叫びつつ  これが最期の伝えごと 
父母よ祖国よ妻や子よ 別れの桜に意味深し

4.日本の桜は春いちど 見事に咲いて明日(あす)は散る 
ペ島(じま)の桜は散り散りに 玉砕(ち)れども勲功(いさお)は
永久(とこしえ)に

5.今、守備勇士(もののふ)の姿なく  残りし洞窟(じんち)の
夢の跡 
古いペ島(じま)の習慣で  我等勇士の霊魂(たま)守る 

6.平和と自由の尊さを 身を鴻(こな)にしてこの島に 
教えて散りし桜花 今では平和が甦る

7.どうぞ再びペリリューヘ 時なし桜花(さくら)の花びらは 
椰子の木陰で待ち佗(わび)し あつい涙がこみあげる    

8.戦友遺族の皆さまに 永遠(いついつ)までもかわりなく 
必ず我等は待ち望む 桜とともに皆さまを
 
このたび、天皇皇后両陛下が、戦後初めてパラオを訪問するにあたり、初代パラオ共和国大統領 クニオ・ナカムラ氏は、その喜びをこう語った。
「(戦争について)忘れない、忘れたらだめですね。だけど、私たちはもう許しています。
私たちは日本の国民を愛しています。私たちは天皇陛下を愛しています」
クニオナカムラ

もし日本軍の基地がなければ、戦場になることもなかったペリリュー島
しかし、無情にも島は焦土と化した。
日本が戦争に加わったから、島はやきつくされた。
それを恨もうと思えばいくらでもできる。
でも、彼らは、その事実はとっくの昔に許している。
それどころか、今も日本を愛し、そして我々以上に天皇陛下を愛している。
パラオは紛れも無く、大和魂の国だ。
日本人が忘れた心を、彼らは国旗を通して世界に輝かせているのだ。